パガン朝(読み)パガンちょう(英語表記)Pagan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パガン朝」の意味・わかりやすい解説

パガン(蒲甘)朝
パガンちょう
Pagan; Pugan

ビルマ人によるミャンマー最初の統一王朝(1044~1299)。アノーラターが,クメール族アンコール朝の西方進出とモン族の西方移動に対処してペグーバゴー)と結び,タトン征服,1044年パガンバガン)を都として建国した。シバ信仰勢力に対抗する仏教勢力を保持した。アノーラターは密教系の大乗仏教を信仰したが,第2代王の治世以後,モン族の上座部仏教やパーリ語仏典が伝わり,モン文字を改良したビルマ文字がつくられた。12世紀前半に建立された寺院の建築様式には,大乗仏教,上座部仏教,バラモン教,ナート精霊信仰の遺風が並存する。12世紀初頭には北宋(→)や雲南の大理国(→南詔)と修好したが,13世紀後半軍の侵入を受け,1287年第12代王が元に服属を誓ったのち暗殺され,王朝は名目的な存在となった。1299年最後の王が死に滅亡した。(→ビルマ史

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パガン朝」の意味・わかりやすい解説

パガン朝
ぱがんちょう
Pagan

中央ビルマ(現、ミャンマー)のパガンの地に、アノーヤター(在位1044~1077)によって樹立されたビルマ人最初の王朝。下ビルマのモン人を制圧し、イラワディ川、チンドウィン川の流域一帯を版図にし、当初はモン人の文化をそのまま受容したが、12世紀末にはビルマ文字もつくられ、独自の文化が開花した。この王朝時代は、上座部(小乗)仏教の信奉が社会生活の中心に置かれ、仏教寺院やパゴダの建立が盛んに行われ、また田畑やチュワン(一般農民で、身分的には隷属状態にあった)が寄進された。パガンの仏教建築物はおびただしい数に上り、そのため建寺王朝ともよばれる。13世紀前半には、セイロンスリランカ)から直接教義の導入も行われた。このような仏寺の建立や、寄進による寺領地や寺領民の増大は財政の消耗と租税収入の減収を意味し、王室財政はしだいに悪化していった。こうして弱体化した王室に、1278年から4回に及び元(げん)軍が侵攻し、1287年には元に隷属することで王朝は事実上終った。

[伊東利勝]


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