改訂新版 世界大百科事典 「チュオンディン」の意味・わかりやすい解説
チュオン・ディン (張定
)
Truong Dinh
生没年:1820-64
南部ベトナムにおける初期抗仏運動の指導者。チュオン・コン・ディンTruong Cong Dinh(張公定)とも呼ばれる。ザディン(嘉定。サイゴン)省の領兵の子に生まれ,1859年フランス軍が南部に侵攻すると,父とともにグエン・チ・フオン(阮知方)の下で抗戦に参加し,同年のサイゴン包囲戦,61年のキーホア戦を戦った。62年のサイゴン条約締結によりザディン等3省がフランス領となった後も,メコン下流ゴコン地方のタンホアに拠って〈藩林(サイゴン条約の調印者)売国・朝廷棄民〉と号して抗戦を続けた。義軍は彼を推して平西大元帥とした。これに呼応して南部各地にグエン・チュン・チュック(阮忠直)らの蜂起が起こり,ついにコーチシナ総督ド・ラ・グランディエールは,反乱の根拠地とされる東部3省に侵攻して,64年これを併合した。また同年,チュオン・ディンも内通によってフランス軍に逮捕され処刑された。しかし,その子チュオン・クエン(張権)は根拠地をカンボジアとの国境タイニンに移し,クメール族の協力により70年まで抗戦を続けた。父子の抗戦はフランス人に対する最も初期の民族闘争として,また朝廷から自立した運動として,高く評価されている。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報