ティグラネス(読み)てぃぐらねす(その他表記)Tigranes Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティグラネス」の意味・わかりやすい解説

ティグラネス(2世)
てぃぐらねす
Tigranes Ⅱ
(前140ころ―前56ころ)

西南アジアにあった王国アルメニアの王(在位前95ころ~前56ころ)。大王とよばれる。ポントス王ミトリダテス6世の娘クレオパトラと婚姻して同盟を結び、国内の統一を確立するとともに、次々と領土を拡張していった。メディア地方、パルティアを侵略したのち、紀元前83年にはシリアキリキアを支配し、首都ティグラノケルタ(トルコ南東部)が建設された。ティグラネス2世の治下で王国はその絶頂期を迎えた。しかしローマ帝国と敵対するミトリダテス6世と同盟したため、ローマとの戦いが起きた。前69年にルクルス、前66年にはポンペイウスにも敗れ、その結果、征服地を放棄し、アルメニアはローマ帝国の同盟国となった。

吉村作治

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のティグラネスの言及

【シリア】より

… 前200年ころ以後,シリアはほぼセレウコス朝の下にあったが,諸都市の政治的自由獲得や土着系小王朝(ユダヤ,ナバテア,イトゥラエア,コンマゲネなど)の独立運動のために,ギリシア人は著しく弱体化し,前1世紀初頭になると,その支配はまったく名目化していた。前83年にはアルメニア王ティグラネス1世Tigranēs Iが侵入し,アンティオキアを占領した。このころまでに東方進出政策を推進していたローマ人は,これに介入して将軍ポンペイウスを派遣し,シリアをローマの属州とし(前64),小王国や都市には自治を許した。…

【アルメニア】より

…アケメネス朝とそれに続くヘレニズム時代には,オロンテス(エルバンド)朝(前401‐前200),アルタシェス(アルタクス)朝(前190‐前1世紀,〈大アルメニア王国〉とも呼ぶ)が興った。アルタシェス朝はティグラン(ティグラネス)大王(在位,前95‐前55)の治世下に最盛期を迎え,領土は黒海,カスピ海,地中海に達した。王は,広大な領土の中央に新都ティグラノケルト(トルコ南西部)を置いた。…

【パルティア】より

…しかし,治世末期に王と貴族の対立が激化し,王弟ゴタルゼス1世Gotarzes I(在位,前91か90‐前80)が帝国西部において自立した。パルティアの混乱に乗じて,アルメニアのティグラネス2世(大王)はメディア・アトロパテネとメソポタミア北部を占領した。彼はポントスのミトリダテス6世の反ローマ闘争に協力したが,ローマとアルメニアの対立はやがてパルティアを巻き込み,フラアテス3世Phraates III(在位,前71か70‐前58か57)の時代からローマとの長い抗争の歴史が開始された。…

※「ティグラネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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