キリキア(読み)きりきあ(英語表記)Cilicia

翻訳|Cilicia

改訂新版 世界大百科事典 「キリキア」の意味・わかりやすい解説

キリキア
Cilicia

アナトリア南東部トロス山脈地中海にはさまれた地域。シリシアともいう。小アジアシリアを結ぶ戦略上の重要地点にあたり,ヒッタイト以来多くの国に支配された。アッシリアペルシアの支配,アレクサンドロスの東征後,セレウコス朝ローマ支配下に入り,さらにビザンティン帝国からアラブの占領,アルメニア王国を経てマムルーク朝オスマン帝国の支配を受けた。1919年一時フランスが占領したが,21年トルコに返還された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キリキア」の意味・わかりやすい解説

キリキア
きりきあ
Cilicia

小アジア南東部の地中海岸地帯。東はシリアと隣接し、北はトロス(タウルス)山脈を境としてカッパドキアやリュオカネアに達する位置にある。西は険しい山岳地帯キリキアと、東はシリアと隣接して平坦(へいたん)な平野部ペディアとに分かれている。この間がトロス山脈中の有名な「キリキアの門」とよばれていた所で、アナトリア内部から、ユーフラテス川に沿って、メソポタミアとの交易の重要な通路であった。同時に、紀元前三千年紀に興ったエブラ王国の仲介貿易が注目されている。またこの「キリキアの門」をめぐって、ヒッタイトの遠征や、アレクサンドロス大王の遠征など重要な舞台となっている。その後ローマの支配、アルメニア王国、トルコ、フランスの占領を経て、現在はトルコの領有

[糸賀昌昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キリキア」の意味・わかりやすい解説

キリキア
Kilikia; Cilicia

小アジア南東部の地中海沿岸を占める古代の地域名。現在のトルコ共和国の一部。東はアマヌス山脈,北と西はタウロス山脈によって区切られ,東部は肥沃な平原であるが,西部は山岳地帯。ヒッタイト,アッシリア,アケメネス朝ペルシア,セレウコス朝シリアの諸王国の支配を経て,前 57年にローマの属州となる。使徒パウロの出生地タルソスを首都とした。7世紀頃アラブ人の支配を受け,10世紀中頃ビザンチン領。その後エジプトのマムルーク朝,次いでオスマン帝国の支配を経て,第1次世界大戦後フランス領となったが,1921年よりトルコ領として回復された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キリキア」の解説

キリキア
Kilikia

小アジア南東部のキプロス島に面する海岸地方
小アジアとシリアを結ぶ要地。アケメネス朝のキュロス2世により征服され,アレクサンドロス大王はこの地方で行われたイッソスの戦いで,ダレイオス3世を破った。ローマ帝国・ビザンツ(東ローマ)帝国・イスラーム勢力などによって支配され,20世紀にトルコ領となった。

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世界大百科事典(旧版)内のキリキアの言及

【チュクロバ】より

…トルコ南部,アダナ,イチェル両県にまたがりセイハンSeyhan川,ジェイハンCeyhan川のデルタによって形成された平野。古名キリキア。面積約7500km2。…

※「キリキア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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