日本大百科全書(ニッポニカ) 「テキサス併合」の意味・わかりやすい解説
テキサス併合
てきさすへいごう
19世紀における、テキサスのアメリカ合衆国への併合問題。スペインから独立したメキシコに対し、アメリカのJ・Q・アダムズ、ジャクソン両政府はテキサスの譲渡を要請し続けたが成功せず、アメリカ人入植者によるテキサス革命(1835~36)が新局面を開いた。1836年3月、メキシコからの独立を宣言して成立したテキサス共和国(1836~46)は、初代大統領ヒューストンSamuel (Sam) Houston(1793―1863)のもとでアメリカによる承認と併合を求めたが、アメリカ政府は、翌37年3月に至って、テキサス独立を承認したものの、奴隷州の拡大に対する自由州の反対と国際紛争の可能性とを懸念して、テキサス併合の申入れを拒否した。こうして38年以後、テキサス共和国は暫時アメリカ合衆国への併合を断念し、独立国としての態勢を固めていった。ところが43年秋から、今度はアメリカの側で併合運動が始まり、タイラー大統領は44年4月テキサス併合を上院に提案したが、これは上院によって拒否された。一方、同年の民主党全国大会は、ポークを大統領候補に指名するとともにテキサス即時併合を公約したが、同年秋の選挙でポークが当選するや、議会は両院共同決議により、テキサスを一州として併合することを申し入れ、併合条約を締結する権限を大統領に与えた。その結果、新大統領ポークがテキサス共和国と併合条約を結び、45年12月、テキサスは連邦加入を認められた。「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」が唱えられたのはこのときであり、メキシコ戦争とカリフォルニア併合へと展開する大陸膨張主義の一環であった。
[高橋 章]