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アメリカ合衆国第11代大統領。在職1845-49年。テネシー州議会・連邦下院議員,下院議長ののちテネシー州知事を経て,1844年民主党の大統領候補に指名され当選。関税の引下げ,国家資金の財務省およびその支金庫への預金,イギリスとのオレゴン地方の境界の決定およびカリフォルニアの獲得を政策としてかかげ,46年オレゴン問題を妥協に導き,米墨戦争(1846-48)によってカリフォルニア方面の広大な地域を獲得,当時の膨張主義思想マニフェスト・デスティニーにもとづき,合衆国の領土拡張を実現した。
執筆者:渡辺 真治
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アメリカ合衆国第11代大統領(在任1845~49)。弁護士、州議会議員を経て、1825年連邦下院議員となる。同郷テネシー出身大統領ジャクソンを支持し、35年から39年まで連邦下院議長を、39年から41年まではテネシー州知事を務めた。44年、テキサス併合推進論者としてジャクソン以下奴隷制南部派民主党員に擁立され、大統領に当選した。在任中イギリスとのオレゴン地方分割協定を成立させ、関税引下げ、独立国庫制度設置等を成し遂げた。さらにメキシコに宣戦してこれを破り、メキシコ領土の北半分、すなわち事実上併合ずみのテキサスに加えてニュー・メキシコからカリフォルニアに至る地域を譲渡させた。この新領土への奴隷制導入可否をめぐる対立を招いたが、第二期には立候補せず、退任後まもなく死亡した。
[安武秀岳]
1795~1849
アメリカ第11代大統領(在任1845~49)。連邦下院議長,テネシー州知事も務める。イギリスとオレゴン協定を成立させ,アメリカ‐メキシコ戦争を遂行してカリフォルニア,ニューメキシコを獲得するなど,アメリカの領土膨張に大きく貢献。
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…しかし,30年代の後半に始まるアメリカ人のオレゴン移住熱の高まりは,40年代に入って,北緯54゜40′線を北端とするオレゴン全域を合衆国に併合しようとする国家膨張熱へと発展し,これに反対するイギリス側との間に幾度か交渉がくり返された。44年の選挙で〈オレゴンの再占有〉を掲げて当選したポーク大統領は,初めは北緯54゜40′までの領有を唱えていたが,46年のオレゴン条約では結局北緯49゜線による分割という妥協に同意した。ここに太平洋岸における米英の国境が確定し,両国とも初めて太平洋岸に領土を獲得した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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