デジタル大辞泉
「ポーク」の意味・読み・例文・類語
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ポーク
- 〘 名詞 〙 ( [英語] pork ) 豚肉。
- [初出の実例]「第八十九等 スチュードポーク」(出典:西洋料理通(1872)〈仮名垣魯文〉六)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ポーク
Polk, James Knox
[生]1795.11.2. ノースカロライナ,メクレンバーグ
[没]1849.6.15. テネシー,ナッシュビル
アメリカの政治家。第 11代大統領 (在任 1845~49) 。テネシー州で弁護士として活動したのち,テネシー州下院議員 (23~25) ,連邦下院議員 (25~39) ,最後の4年間は下院議長として,筋金入りのジャクソン民主主義者として知られた。 1839~41年テネシー州知事となり,44年「北緯 54°40′までを領土に,しからずんば戦争を」を合言葉に領土拡張政策を掲げて民主党から大統領候補として出馬,H.クレーを破り,アメリカ史上最も若い大統領として当選。国内政治では関税引下げ,独立財務制の復活を達成し,外交面ではイギリスとのオレゴン協定による北部太平洋岸領土の獲得,アメリカ=メキシコ戦争や買収によるカリフォルニア,ニューメキシコなど広大なメキシコ領の獲得を行なった。大西洋岸から太平洋岸にいたるアメリカの領土拡大が実現したのはこの時代である。そのほか内務省の設置,アナポリスの海軍兵学校の設立,スミソニアン・インスティテューションの設立認可も彼の業績に数えられる。
ポーク
Polk, Leonidas
[生]1806.4.10. ノースカロライナ,ローリー
[没]1864.6.14. ジョージア,パインマウンテン
アメリカの牧師,軍人。第 11代大統領 J.ポークの従弟。ノースカロライナ大学と陸軍士官学校を卒業後,聖公会牧師となり,1838年南西部で,41年ルイジアナで布教活動に従事。南北戦争に際して,61年南部連合軍に陸軍少将として入隊,ミシシッピ川攻防戦の指揮をとり,62年中将に昇進。 64年パインマウンテンで偵察中に戦死。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ポーク
James Knox Polk
生没年:1795-1849
アメリカ合衆国第11代大統領。在職1845-49年。テネシー州議会・連邦下院議員,下院議長ののちテネシー州知事を経て,1844年民主党の大統領候補に指名され当選。関税の引下げ,国家資金の財務省およびその支金庫への預金,イギリスとのオレゴン地方の境界の決定およびカリフォルニアの獲得を政策としてかかげ,46年オレゴン問題を妥協に導き,米墨戦争(1846-48)によってカリフォルニア方面の広大な地域を獲得,当時の膨張主義思想マニフェスト・デスティニーにもとづき,合衆国の領土拡張を実現した。
執筆者:渡辺 真治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ポーク
ぽーく
James Knox Polk
(1795―1849)
アメリカ合衆国第11代大統領(在任1845~49)。弁護士、州議会議員を経て、1825年連邦下院議員となる。同郷テネシー出身大統領ジャクソンを支持し、35年から39年まで連邦下院議長を、39年から41年まではテネシー州知事を務めた。44年、テキサス併合推進論者としてジャクソン以下奴隷制南部派民主党員に擁立され、大統領に当選した。在任中イギリスとのオレゴン地方分割協定を成立させ、関税引下げ、独立国庫制度設置等を成し遂げた。さらにメキシコに宣戦してこれを破り、メキシコ領土の北半分、すなわち事実上併合ずみのテキサスに加えてニュー・メキシコからカリフォルニアに至る地域を譲渡させた。この新領土への奴隷制導入可否をめぐる対立を招いたが、第二期には立候補せず、退任後まもなく死亡した。
[安武秀岳]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ポーク
米国の政治家。第11代大統領(1845年―1849年)。民主党。積極的な領土拡張論者で,テキサスを合併,オレゴン地方を英国と分割,米墨戦争によりカリフォルニア,ニューメキシコ地方を獲得した。
→関連項目民主党(米国)
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ポーク
James Knox Polk
1795〜1849
アメリカの第11代大統領(在任1845〜49)
下院議員となり,民主党員として活躍。1845年大統領に選出され,アメリカ−メキシコ戦争を強力に推進して,カリフォルニアの獲得に力を注ぎ,オレゴン問題を妥協に導いた。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のポークの言及
【オレゴン問題】より
…しかし,30年代の後半に始まるアメリカ人のオレゴン移住熱の高まりは,40年代に入って,北緯54゜40′線を北端とするオレゴン全域を合衆国に併合しようとする国家膨張熱へと発展し,これに反対するイギリス側との間に幾度か交渉がくり返された。44年の選挙で〈オレゴンの再占有〉を掲げて当選したポーク大統領は,初めは北緯54゜40′までの領有を唱えていたが,46年のオレゴン条約では結局北緯49゜線による分割という妥協に同意した。ここに太平洋岸における米英の国境が確定し,両国とも初めて太平洋岸に領土を獲得した。…
※「ポーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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