改訂新版 世界大百科事典 「ディートマルシェン」の意味・わかりやすい解説
ディートマルシェン
Dithmarschen
ユトランド半島南西岸にあり,エルベ川とアイダー川にはさまれた地域。現在のドイツのシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の西部海岸地域。
ディートマルシェンは湿地帯によってドイツ本土からさえぎられ,地理的に独立していたが,政治・国制史のうえでもドイツの他の地域とは異なった歴史を歩んできた。すでにカロリング朝のもとでハンブルク・ブレーメン大司教の伝道によってキリスト教に改宗し,伯領として帝国に編入されていたが,その支配は貫徹せず,住民の抵抗にあって,中世末期までこの地はほぼ独立状態を保った。メルドルフを中心とするディートマルシェン地域には近代にいたるまで貴族身分が成立せず,身分上の差別のない農民の集団指導による統治が行われていた点で他の地域と異なっている。自由農民の共和国といわれるゆえんである。1283年にほぼ自立していた教区共同体は,ディートマルシェン地区団体を結成し,裁判権,立法権をもち,戦争,講和の決定をみずから下しうる組織をつくっていた。
15世紀末にデンマークのクリスティアン1世がシュレスウィヒ・ホルシュタイン公を兼ねると,ディートマルシェンに対する圧力が強まり,クリスティアンの死後ハンスがあとをつぐとデンマーク軍はシュレスウィヒ・ホルシュタインの騎士とともにディートマルシェンに攻めこんだ。1500年2月17日にヘミングシュテットHemmingstedtの戦でデンマーク,シュレスウィヒ・ホルシュタイン連合軍は農民軍の前に壊滅的な敗北を喫した。しかし主権国家としてのディートマルシェンの地位は1559年にデンマーク王フレゼリク2世の下で分割されて終わった。だが近代にいたるまで,自由な共同体として自治権は維持されていた。
執筆者:阿部 謹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報