中世ヨーロッパの騎馬の戦士で、キリスト教の規範意識をもつことを特色とする。騎士身分そのものは古代にもみられ、ローマ時代の財力に優れたエクィテスは、元老院貴族と平民との中間にある準貴族身分とみなされたが、軍事的な意味は失われていった。中世の騎士はこれと異なり、封建制という時代環境のなかから生まれ、独特な叙任式を発展させた。
騎馬戦術は、8世紀のフランク社会に登場するが、蹄鉄(ていてつ)や鐙(あぶみ)を伴う乗馬術は、東方ステップの騎馬遊牧民からヨーロッパに伝わったものであろう。乗馬術が鉄とともに、まずもって農民を搾取して生活する「馬に乗った人間」たる騎士階層によって独占されたことは、中世社会の「兵農分離」の開始を意味する。騎士身分は一挙に成立したものではなく、9、10世紀ごろには、土地領主としての財産の性格、領民に対する支配権、職業的戦士としての生活様式といった点で、社会的な優位にたつ「事実上の貴族」にすぎなかった。また11、12世紀ごろの封建社会では、富や権力の大小によって、門閥貴族たる城主ないしバン領主層と、彼らに臣従する狭義の平騎士(ミリテース)層という、貴族内部の階層分化もみられた。それにもかかわらず、両者は全体として、農民身分とは異なる支配階層として、広義の騎士身分に融合していた。その理由は、彼らの身分が封土と同様に世襲化され、特別な儀式、すなわち騎士叙任式によって継承されたからにほかならない。事実上の貴族が法的に明確化された騎士身分に転成するためには、キリスト教による一種の「聖別」が不可欠であった。教会は、ゲルマン戦士の伝えた好戦的気風を和らげようとして、戦闘行為の制限(「神の平和」など)に努めるとともに、騎士叙任式に介入して、騎士制度を教会本来の目的に役だたせようとした。
騎士叙任式とは、ゲルマン古来の武器授与を中心とする成年式の発展したもので、教会はこの武器授与を武器の祝別式に改め、武器を手渡す名誉も、年長の俗人騎士から祭式執行者たる聖職者へ移行する。このような変化は12世紀の中ごろまでにほぼ達成され、騎士叙任式の古いゲルマン的しきたりは、いまやキリスト教の秘蹟(ひせき)に転化し、「キリスト教騎士」としてのモラルや作法も定着してくる。ゲルマン戦士の好戦本能にしても、「戦争と信仰の一致」ないし「聖戦」というスローガンで合理化される必要があり、その典型的なケースが十字軍の運動であった。十字軍は西欧各国の騎士の相互接触、キリスト教騎士団の結成を通して、騎士道文化の形成を促進する結果になった。
騎士道の最盛期を現出した13世紀には、早くもその俗化と衰退の過程が始まった。それは「宮廷風恋愛」(アムール・クルトア)にみられるような、西欧文化に芽生えてきた女性の影響力によるだけではない。十字軍時代に生まれた多くの騎士団がしだいに草創期の求道的性格を失ってセクト化し、党派的利益の追求に走るようになったこともその一因である。しかし、より重要なことは、中央集権化の政策に乗り出した国王や大諸侯が、彼らにのみ奉仕すべき直臣層を騎士階層に求めるようになり、そのため騎士叙任権の独占を図ろうとしたことである。
他方、このころになると、騎士系の子孫でない者に社会的上昇の道を閉ざす騎士身分の封鎖化の傾向も著しく、世襲特権階級としての貴族が形成されつつあった。この世襲の原則を破りうる者は君主のみで、君主は自らの政治的、経済的目的に役だつような者を、その戦士としての適格性とはかかわりなく、騎士身分に取り立てることができた。中世末期における戦術の転換がこの傾向に拍車をかける。重装備の騎兵にかわって、歩兵や弓兵の意義が増加し、さらに火砲の出現が騎士隊の戦術的役割を無価値にする。領主財産の危機に瀕(ひん)して没落した古い騎士系貴族にかわって、アンシャン・レジームのフランスにみられるように、高等法院や会計院などに席をもつ官職ブルジョアの新貴族が台頭してくる。こうして騎士制度は、もはや武人としての能力や資格の問題ではなくなり、世襲により引き継ぐ特権か、君主から賜る特権か、いずれにしても特権身分としての貴族制度へと変質していった。
[井上泰男]
『P・d・クランシャン著、川村克己・新倉俊一訳『騎士道』(白水社・文庫クセジュ)』▽『新倉俊一著『騎士道』(堀米庸三編『西欧精神の探究――革新の十二世紀』所収・1976・日本放送出版協会)』
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騎乗して戦闘する特有の身分の者。古代ローマにも貴族に準ずる身分として騎士(エクイテスequites)があったが,一般には西欧中世の武士を指し,フランス語のシュバリエchevalier,ドイツ語のリッターRitter,英語のナイトknightの訳語として用いられる。語義的には前2者が騎乗者,後者は侍者の意である。中世の公式表現はミーレスmilesだが,これは単に戦士を意味するにすぎない。中世,重装備の騎兵が勝敗の鍵を握るようになり,そしてさらに重要なことは,彼らだけが完全な戦闘員,もっぱら武技によって生きる者と観念されるようになって,聖職者,農民,市民とは区別された一つの身分としての騎士が成立した。
はじめ高位の貴族が騎士と呼ばれることはなかったが,12世紀以後は王侯も名誉ある武人の意味で騎士と呼ばれるようになる。装備と武技習練に大きな資力を要したから,騎士は事実上貴族身分,領主階級と重複するのが普通だが,原理的には同一でない。本来血統に由来する貴族と異なり,生れながらの騎士というものは存在しない。個人的資質が確認されたうえで騎士に叙任されることが必要であった。また,特にドイツ的現象であったが,ミニステリアーレ(家士)は不自由身分のまま騎士として行動した。騎士叙任は,叙任者が新騎士の肩に剣の平(ひら)打ちを加える刀礼の形式で行われたが,その本質は初めて長剣を公然と帯びること,つまり完全戦闘員としての認知にある。これに潔斎や宣誓が付随して叙任式は複雑化し,しだいに宗教色を帯びた。事実上は騎乗従軍しながらも叙任式を受けない者は,従士あるいは楯持ちと呼ばれて,一段階下の身分を形成した。騎士は団結して騎士団(あるいは騎士修道会)を結成する場合があった。十字軍の過程で生じたテンプル騎士団,ヨハネ騎士団(その後身のマルタ騎士団),ドイツ騎士修道会はその代表的なものである。戦術の転換によって決定的な戦力でなくなった後は下級貴族としての栄爵となる。
→騎士修道会 →騎士道
執筆者:渡邊 昌美
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①〔古代ローマ〕equites 古代ローマの一社会階層,一身分。原語ではエクィテス。元来は騎馬で軍務に服する人をさす。共和政末期に元老院身分につぐ階層となり,国営事業や徴税の請負を独占して金融資本家として発展し,一時は法廷をも支配した。帝政期には皇帝に仕え高位行政官や軍団幹部層を担った。
②〔中世ヨーロッパ〕knight[英],Ritter[ドイツ],chevalier[フランス] 中世ヨーロッパで戦士身分を示す称呼。もとカロリング朝の重装騎兵をさすが,この戦士が新たな支配階級となり,身分的に固定化した。見習い期間後,所定の儀式(武器の授与や刀打ち)を受けてその一員になると,一般人に禁じられた武装権と決闘権を獲得し,闘技や戦争および主君のもとへの出仕を務めとした。しかし,火器と傭兵の利用によりその軍事的意義は失われていった。
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…西欧中世,騎士の行動規範ないし準則。徐々に発達したし,また理想,むしろ幻想に近い部分もあったから,その内容は流動的でとらえがたい。…
…12世紀から16世紀にかけてフランス,イギリスをはじめヨーロッパ各地で流行した,韻文,次いで散文による物語文学。先行して成立した武勲詩の影響のもとに,騎士道の理想が求められた十字軍の時代状況を背景として,まず12世紀後半に韻文で書きはじめられた。武勲詩が歴史に題材をとって主人公の武勲をたたえることを中心主題としたのに対し,騎士道物語は,虚構の枠組みによって,騎士が宗教的義務と世俗的義務,とりわけ婦人への愛と献身に忠実たるべきことを称揚した。…
…デュークとマーキスは,大陸の制度に倣ったもので,アングロ・サクソン時代にはさかのぼらない。 イギリスの爵位貴族nobilityはロードlordの敬称を帯び,サーsirの称号をもつ騎士knight階層から区別されるが,爵位は当該家門の長男によって世襲されるのが常であった。子爵の名は,中世初期に伯の職務を代行した役人vicecomesに由来し,ノルマン・コンクエスト後のイギリスではシェリフにこの名が適用されたが,これもやがて単なる爵位と化した。…
…十字軍開始期には森林が切り開かれて,耕地面積は拡大し,より豊かな衣食住の条件が追求されるようになり,経済発展に対応する社会身分の流動性が見られた。農民の階層化,市民階級の新たな形成が始まり,とくに軍馬の飼育・所有を独占的に行った騎士階級の出現が西欧社会の特色をなすにいたった。このような富,知的教養,権力といったさまざまな面で上昇運動の活力を生み出した社会は,その内部エネルギーの膨張力によって対外進出を大規模に行い得る態勢を整えたことになる。…
…しかし,敵を攻撃して戦利品をとってくることに重点のあることが多く,土地の獲得はそれ自体が目的ではなく,攻撃の結果,ことに集落を焼き払ったりした場合,移動した敵が残した居住地や耕作地に進出するというように,結果としての領域拡大が普通である。未開農耕民の戦争には,まるで西洋中世の騎士のトーナメント(馬上槍試合)のような儀礼的な,それほど死傷者を出さない形式のものと,非儀礼的なものがある。後者は策略によって相手を欺き,多くの死傷者を出し,かつ経済的利益の大きいものである。…
※「騎士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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