トイトブルクの森の戦い(読み)トイトブルクのもりのたたかい(その他表記)Battle of the Teutoburg Forest

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トイトブルクの森の戦い」の意味・わかりやすい解説

トイトブルクの森の戦い
トイトブルクのもりのたたかい
Battle of the Teutoburg Forest

9年9月,ローマ帝国のプブリウス・クインクティリウス・ウァールスに率いられた 3軍団が,ライン川の東でゲルマンケルスキ人の族長アルミニウスの軍の待ち伏せにあい壊滅した戦い。俗にこの惨敗により,ローマはライン川以東への領土拡大を阻まれたとされる。ウァールスは 7年から徴税,司法権をふるいゲルマン諸族の反感を買っていた。この戦闘で 2万の兵が失われウァールスは自決,その死体は切り裂かれた。この敗戦アウグスツス帝とローマにとって大きな衝撃となった。戦いの行なわれた場所は不明確であったが,ローマ軍の駐屯地遺跡の発掘により,トイトブルクの森は今日のドイツのビーレフェレト南東にあたるオスナブリュックから北へ 16kmのカルクリーゼ近郊に位置することが判明した。トイトブルクの森という名称は 17世紀につけられた。19世紀に入って,ここから 70km南東のデトモルトに,アルミニウスの功績をたたえるヘルマン記念像が建てられた。

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