ゲルマン(読み)げるまん(英語表記)Murray Gell-Mann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルマン」の意味・わかりやすい解説

ゲルマン
げるまん
Murray Gell-Mann
(1929―2019)

アメリカの理論物理学者。オーストリアからの移住者を両親としてニューヨークで生まれる。早熟児として特殊学校に通い、15歳でカレッジに入学、19歳でエール大学卒業、3年後にマサチューセッツ工科大学理学博士、その後1年間プリンストン高等研究所に在籍し、1952年シカゴ大学の講師の職を得た。1955年カリフォルニア工科大学に移り、翌1956年教授となる。1940年代末から次々と発見されていた準安定な素粒子の相互作用に関し、新しい量子数ストレンジネスを用いた現象論的な規則(「中野西島ゲルマンの規則」)を提出した(1954)。また坂田昌一(しょういち)の提唱した素粒子の複合模型から導かれる中間子メソン)の分類上の長所を保ちつつ、強い相互作用をする素粒子(ハドロン)の分類に有効な「八重法」(エイト・フォールド・ウェイ、八道説)(1961)を提唱、その基礎にある分数荷電をもつ基本的実体としてクォークを導入した(1964)。続いてクォークの運動を記述する基礎理論として、量子色(いろ)力学QCD:Quantum Chromodynamics)をSU(3)ゲージ理論(SUはSynmetric Unitaryのこと)として提唱した。素粒子の分類と相互作用に関する発見により1969年ノーベル物理学賞を受賞。ほかにいくつかの賞も受けアメリカ国立科学アカデミー会員であるが、1960年代にはベトナム戦争に協力する組織に関係し、国内外の批判を受けたこともある。20世紀の終わり四半世紀の間に、量子色力学の構造の解明が進み、予測されながら未確認であったクォークも実験で確認され、6種のクォークを含む基本粒子模型が確立した。なお、ゲルマンは1984年に広領域の複雑系を研究するサンタ・フェ研究所(SFI)を各分野の学者らとともに設立、1994年には同研究所による研究成果をまとめた『クォークとジャガー』を著した。

[藤井寛治]

『M・ゲルマン他著、中村誠太郎編・監訳、谷川安孝監訳『現代物理の世界6 素粒子とはなにか』(1973・講談社)』『野本陽代訳『クォークとジャガー――たゆみなく進化する複雑系』(1997・草思社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲルマン」の意味・わかりやすい解説

ゲル=マン
Gell-Mann, Murray

[生]1929.9.15. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2019.5.24. ニューメキシコ,サンタフェ
アメリカ合衆国の理論物理学者。15歳でエール大学に入学。卒業後,1951年マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。シカゴ大学を経て,1956年カリフォルニア工科大学教授となった。K中間子の崩壊の奇妙さなどの考察から,1953年素粒子のもつストレンジネス strangenessという量子数を導入,相互作用の前後でのこの量子数の選択規則を見出した(中野董夫,西島和彦も独立に発見。→中野=西島=ゲル=マンの規則)。その後続々と発見された多数の素粒子のグループ分けを試み,1961年に 8個ずつの組になるという八道説を提唱。これに従って予言したオメガ・マイナスなどの未知の素粒子は 1964年に発見された。また 1964年,素粒子はクォークという電荷が電子の 3分の1または 3分の2の粒子から構成されるとする考えを示した。これらの業績に対して 1969年ノーベル物理学賞を授与された。

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