オスナブリュック(読み)おすなぶりゅっく(英語表記)Osnabrück

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オスナブリュック」の意味・わかりやすい解説

オスナブリュック
おすなぶりゅっく
Osnabrück

ドイツ北西部、ニーダーザクセン州の行政中心都市。人口16万4100(2000)。南北を低い丘陵地に挟まれた位置にあるが、ルール工業地帯とハンブルクとを結ぶ幹線鉄道とアウトバーンに接し、ミッテルラント運河からの支線運河が都心近くに延びるなど、交通の要地である。市街地は19世紀なかばまで城壁に囲まれていた新市街および旧市街と、その後その外に発展した部分とからなり、旧市街と新市街の中間あたりが都心である。ウェーザー・エムス県県庁のほか、官公庁、博物館その他の文化施設が多い。工業は、市域北西部の石炭鉄鉱石を利用して発達した鉄鋼業のほか、繊維、機械、製紙などが盛んである。第二次世界大戦で戦災を受けたが、旧市街のロマネスク様式司教座聖堂をはじめ、古い教会、市庁舎、一部の市民家屋が昔のままに再建され、静かな歴史的都市の雰囲気を保持している。

[齋藤光格]

歴史

オスナブリュックの名が歴史に登場するのは、カール大帝の時代に司教座の所在地とされてからである。以後ドイツ北辺のキリスト教化の一拠点の役割を果たすとともに、889年には市場を開く権利を認められて、商業的にも発展し、13世紀以後はハンザ同盟に属して、フランドルと北海沿岸との通商の中継地として重要な役割を果たした。この商業的発展とともに市は大幅の自治権を獲得して、17世紀に至るまで帝国都市に等しい地位を維持した。しかしこの地をとくに著名にしたのは、三十年戦争を終結させたウェストファリア講和会議であり、ミュンスターにカトリック諸国の代表が集まったのと並行して、オスナブリュックでは1644年以後プロテスタント諸国と皇帝の代表が講和の交渉を行い、1648年になってウェストファリア条約が締結された。1802年ハノーバー領に、06年プロイセン領に併合された。

[中村賢二郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オスナブリュック」の意味・わかりやすい解説

オスナブリュック
Osnabrück

ドイツ北西部,ニーダーザクセン州の都市。ミュンスターの北東約 45kmに位置し,トイトブルクの森の戦いの古戦場であるトイトブルガーワルトと,ウィーエンゲビルゲに挟まれた低地にある。8世紀にカルル1世(大帝)によって建設され,1171年に都市権を獲得。その後ハンザ同盟の一員となって,15世紀に全盛に達した。1648年のウェストファリアの講和の一部はここで締結されている。東西・南北の交通の結節点で,ミッテルラント運河に通ずる運河もある。金属,輸送機械,電機,化学,繊維などの工業が立地。13世紀の大聖堂,市庁舎(1487~1512)など歴史的建築物が多い。人口 16万3514(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android