日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルミニウス」の意味・わかりやすい解説
アルミニウス(Jacobus Arminius)
あるみにうす
Jacobus Arminius
(1560―1609)
オランダの神学者。少年期には、改革派となった牧師のもとで教育を受け、のちライデンで、またジュネーブでプロテスタント神学者ベザ(ド・ベーズThéodore de Bèze。1519―1605)のもとで神学を学ぶ。1588年アムステルダムで牧師となり、教会当局の命令で、カルバンの厳格な二重予定説を弁護するために研究するが、しだいにこれと反対の立場に近づき、神の予定は信仰者を選び、不信仰者を棄却するものだと主張するようになった。1603年ライデン大学教授となった。彼の予定説をめぐってオランダ改革派教会、さらには全土に、政治的にも論議と論争が巻き起こり、その途中で死去するが、その死後、この論争はいよいよ頂点に達した。彼の信奉者をアルミニウス派といい、ゴマルス派と対立した。
[徳善義和 2018年1月19日]
アルミニウス(ケルスキ人の首領)
あるみにうす
Arminius
(前18ころ―後19ころ)
ゲルマン系のケルスキ人の首領。初めローマ軍に従ってローマ市民権を与えられ、騎士の栄誉を授けられた。しかし、ゲルマニア総督についたウァルスPublius Quinctilius Varus(?―9)が支配を強化しようとしたことが、ゲルマン諸族の結束と反抗を促し、アルミニウスはその指導者となった。紀元後9年、ウァルスの率いるローマ軍を、トイトブルクTeutoburgの森におびき出し全滅させた。その後もローマの支配と戦い、ゲルマニア征服を断念させた。やがて王になろうとする野心を示して民衆の反発にあい、近親の裏切りにより殺された。タキトゥスは彼を「ゲルマニアの解放者」とよんでいる。
[市川雅俊]