ドナティズム運動(読み)どなてぃずむうんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドナティズム運動」の意味・わかりやすい解説

ドナティズム運動
どなてぃずむうんどう

ローマ帝国キリスト教への迫害政策を撤回した直後の311年、属州北アフリカで生じ、7世紀まで続いたキリスト教内の分離派の運動。大迫害期の背教者の教会復帰をいっさい否定し、背教者の司教によって施されたサクラメント秘蹟(ひせき))は無効であると主張するなど厳格主義の立場を保持した。カルタゴの司教ドナトゥスDonatus(?―355)が運動の創始者であったのでこの名がある。運動は、カルタゴ司教の選出契機として表面化したが、支持層は主としてローマ化の不十分なヌミディア州の農民層であった。これに対し穏健派カトリックはおもにローマ化地域としてのアフリカ・プロコンスラリス州の都市市民層で、このことは運動が宗教的運動にとどまらず、社会的、経済的、さらに民族的色彩を帯びていたことを示す。運動の中心的担い手となったキルクムケリオーネスとよばれる集団が、すべてヌミディア州の土着農民にして巡礼者であったことに注目すべきである。

 ドナティズム運動は、コンスタンティヌス大帝以降のキリスト教徒皇帝による宥和(ゆうわ)あるいは弾圧政策、またオプタートゥス、アウグスティヌスらアフリカの教父による努力にもかかわらず、すこしも衰えをみせず、そのうえ属州北アフリカに関する限り、カトリックを圧倒して多数派を占めるまでになった点で、セクト運動としてユニークな性格をもつものであった。このドナトゥス派にみられる厳格主義、清教主義は、テルトゥリアヌス、キプリアヌス以来の伝統もさることながら、運動の担い手がかつての大迫害期を生き抜き、迫害政策を撤回せしめるうえで重要な役割を演じた素朴な農民層であったことと関係する。運動は7世紀のイスラム教徒の北アフリカ侵入時まで続いた。

[新田一郎]

『新田一郎著『キリスト教とローマ皇帝』(教育社歴史新書)』『W. H. FrendThe Donatist Church ― A Movement of Protest in Roman North Africa (1952, Clarendon Press, Oxford)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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