改訂新版 世界大百科事典 「ドメラニーウェンハイス」の意味・わかりやすい解説
ドメラ・ニーウェンハイス
Ferdinand Domela Nieuwenhuis
生没年:1846-1919
オランダの政治家で,労働運動の指導者。生地アムステルダムで神学を修め,ルター派牧師となる。1879年《万人の権利Recht voor Allen》誌を創刊して聖職から退く。81年成立した社会民主同盟(SDB)の書記長(1882-87)となり,また普通選挙同盟を結成。上掲誌の記事(筆者は別の人)により罪に問われ,1年間投獄され,釈放後の国外旅行でエンゲルス,カウツキーなどを訪問した。ベーベル,リープクネヒトと協力してパリで国際社会主義者大会(1889)を開催。下院議員に選ばれたが(1884-91),議会主義を否定し,彼の指導下に社会民主同盟が選挙への不参加を決定したため,トルールストラらは分離して94年社会民主労働党(SDAP)を結成した。その後ますますアナーキズムに傾斜し,97年社会民主同盟から脱退,《自由な社会主義De Vrije Socialist》誌を創刊しアナーキズム,反軍国主義を説いた。近年その思想が再評価され,アムステルダムにドメラ・ニーウェンハイス博物館が開設された。
執筆者:栗原 福也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報