ベーベル(読み)べーべる(英語表記)August Bebel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーベル」の意味・わかりやすい解説

ベーベル
べーべる
August Bebel
(1840―1913)

ドイツの社会主義者、ドイツ社会民主党の指導者。ケルンの貧しい陸軍士官の子として生まれる。幼児期、実父および養父に死別し、ウェツラーの慈善学校に通った。13歳で母と死別し、旋盤工の徒弟となった。5年後独立して渡り職人となり、1860年ライプツィヒの工場で待遇改善を求めたストライキに参加。これが労働運動との出会いとなった。1861年労働者教育協会の創立後まもなく加入。1865年W・リープクネヒトと出会い、彼からマルクス主義の影響を強く受け、以後親交を結ぶ。1867年ドイツ労働者協会連盟議長となり、1869年には第一インターナショナルの規約や前文綱領に取り入れた社会民主労働者党アイゼナハ派、社会民主党の母体)を創設。他方1867年から北ドイツ同盟会議員、続いて国会議員(1871~1881、1883~1913)として議会活動を展開した。1870年末から半年間ビスマルク誹毀(ひき)のかどで、1872年から約5年間反逆罪および不敬罪入獄した。この間ラッサール派との合同を果たして社会主義労働者党をつくり、1878年社会主義者鎮圧法が施行されるや、非合法の組織活動を指導した。1890年の同法廃止とともに合法化されて改名された社会民主党で、彼は常務委員会委員長として党組織の拡大、社会政策中心の党活動、選挙運動を指導した。マルクス主義を理念とする大衆政党建設軍国主義との闘争に果たした彼の役割は大きい。『婦人論』『わが生涯』などの著作がある。

[大木基子]

『草間平作訳『改訳 婦人論』上下(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーベル」の意味・わかりやすい解説

ベーベル
Bebel, August

[生]1840.2.22. ケルン近郊ドイツ
[没]1913.8.13. パッスク
ドイツの政治家。 W.リープクネヒトの影響下にマルクス主義者となった。 1866年プロシア=オーストリア戦争に反対し,ドイツの民主的統一を要求してザクセン人民党を組織し,北ドイツ連邦議会議員 (1867~71) ,帝国議会議員 (71~81,83~1913) として活躍。第1インターナショナル支持をめぐってザクセン人民党のブルジョア分子と決裂,69年アイゼナハに社会民主労働党を組織。普仏戦争 (70~71) ,アルザス,ロレーヌの併合 (71) に反対し,反逆罪によって入獄 (72~73) 。 75年にはラサール派と合同して,ドイツ社会主義労働党 (のちのドイツ社会民主党 ) を創設,その党主となった。社会主義鎮圧法に反対し,ライプチヒから退去を命じられ (78) ,86年地下活動の理由で9ヵ月間入獄,89年には第2インターナショナルの創立に参加。主著『婦人と社会主義』 Die Frau und der Sozialismus (1883) 。

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