改訂新版 世界大百科事典 「ナタンソン」の意味・わかりやすい解説
ナタンソン
Mark Andreevich Natanson
生没年:1850-1919
ロシアのナロードニキ革命家。ビリニュス県の裕福なユダヤ人の家に生まれ,医科大学に入学した。学生運動に加わってしばしば逮捕されたが,1871年,N.V.チャイコフスキーらとともに自己形成のための,いわゆるチャイコフスキー派サークルをつくる。これは1870年代の革命的ナロードニキ運動の母体をなした。早々に逮捕され,流刑されたが,76年にはペテルブルグに戻り,秘密結社〈土地と自由〉の創立を主導した。77年逮捕,ヤクーツクへ流されたが,89年シベリアから戻り,サラトフに住んで,93年〈人民の権利〉党を創立した。94年逮捕,シベリア流刑。刑期を終えて出国,1905年エス・エル党に加わり,中央委員となる。党の財政を担当した。第1次世界大戦では国際派左派の立場をとり,17年革命では左派エス・エル党の中心に立ち,十月革命を支持した。18年の左派エス・エル党反乱ののち,これを非難する〈革命的共産主義者〉派に属したが,病気のため出国,スイスで死んだ。
執筆者:和田 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報