現代外国人名録2016 「ニックロウ」の解説
ニック ロウ
Nick Lowe
- 職業・肩書
- ミュージシャン,音楽プロデューサー
- 生年月日
- 1949年3月24日
- グループ名
- 旧グループ名=ブリンズリー・シュウォーツ〈Brinsley Schwarz〉
- 経歴
- 1968年ギタリストのブリンズリー・シュウォーツをリーダーとするロックバンド、キッピングトン・ロッジにベーシストとして加入。1970年リーダーの名をそのままグループ名としたブリンズリー・シュウォーツに改名、ニューヨークでデビューしたが失敗。英国に戻ってからは地道なクラブでの活動が功を奏し、パブロックを代表するバンドとして人気を集めるようになり、6枚のアルバムをリリースした。この間、ベーシストとしてだけでなくソングライティングの面でもバンドの活躍に貢献し、’75年解散後はソロ活動に移行。’76年ブリンズリー・シュウォーツのマネージャーであったデーブ・ロビンソンらとスティッフ・レコードを設立、第1弾として自身初のソロシングル「ソー・イット・ゴーズ」、’78年にはファーストアルバム「Jesus of Cool」を発表。セカンドアルバム「Labour of Lust」(’79年)からシングルカットした「恋する二人」は大ヒットした。また、バンド時代に親交を結んだデーブ・エドマンズとロック・パイルを結成し、’80年アルバム「セカンズ・オブ・プレジャー」を制作したが、’81年解散。一方でプロデューサー、エンジニアとしても活動し、ダムドのデビュー作「地獄に堕ちた野郎ども(ダムド・ダムド・ダムド)」をプロデュースした他、グレアム・パーカー、プリテンダーズ、エルビス・コステロなどを手がけ、初期のパンク、ニューウェーブ・ムーブメントの興隆を支えた。’92年ライ・クーダー、ジョン・ハイアットらとのリトル・ビレッジでアルバム「リトル・ビレッジ」を制作。ソロでも「The Impossible Bird」(’94年)、「The Convincer」(2001年)、「At My Age」(2007年)など、コンスタントにアルバムを発表。2009年ライ・クーダーとその息子ヨアヒムらと来日。2011年にも自身のバンドを従えて来日公演を行った。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報