地獄(読み)ジゴク

デジタル大辞泉 「地獄」の意味・読み・例文・類語

じ‐ごく〔ヂ‐〕【地獄】

《〈梵〉naraka(那落迦)、niraya(泥黎)の訳。地下の牢獄ろうごくの意》
仏語。六道の一。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。閻魔えんま大王が生前の罪業を裁き、獄卒の鬼が刑罰を加えるという。八熱地獄八寒地獄などがある。地獄道。奈落ならく。⇔極楽
キリスト教で、神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界。⇔天国
イスラム教で、この世の終末に復活して受ける審判によって、不信仰者や不正を行った者が永劫の罰を受ける所。罪人であっても信仰者はやがて天国に入れられる。ジャハンナム
非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ。「試験地獄
火山の、絶えず噴煙が噴き出している所。また、温泉地で絶えず煙や湯気が立ち、熱湯の噴き出ている所。「温泉場の地獄巡り」
劇場の舞台の床下。奈落ならく
下等の売春婦。私娼ししょう
「君も巴黎パリイの―の味まで知ったなら」〈魯庵社会百面相
[下接句]板子いたご一枚下は地獄一寸下は地獄聞いて極楽見て地獄見ての極楽住みての地獄
[類語]奈落煉獄の世のちの世後世ごせ後生ごしょう来世冥土冥府冥界幽冥幽界黄泉こうせん黄泉よみ霊界草葉の陰泉下
[補説]作品名別項。→地獄

じごく【地獄】[作品名]

《原題、〈フランス〉L'Enferマロの詩集。1526年、四旬節に肉食をした罪で投獄された際に書かれた詩を、1542年にエチエンヌ=ドレがマロに無断で出版したもの。
《原題、〈フランス〉L'Enferバルビュスの長編小説。1908年刊。パリの下宿に住む詩人が、自室の壁の穴を通して、隣室で起こるさまざまな人間劇を目撃する。
中川信夫監督による恐怖映画。昭和35年(1960)公開。出演、天知茂、三ツ矢歌子、沼田曜一ほか。

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精選版 日本国語大辞典 「地獄」の意味・読み・例文・類語

じ‐ごくヂ‥【地獄】

  1. 〘 名詞 〙 ( [梵語] naraka (那落迦)、niraya (泥犁)の訳語。「地下にある牢獄」の意からといわれる )
  2. 仏語。六道の一つ。現世で悪業(あくごう)を重ねた者が、死後その報いによって落ちて、責め苦を受けるという所、またはその世界に落ちた者、あるいはその生存のあり方をいう。種類がいろいろあるとされ、等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻(無間)が八大地獄で、このそれぞれには四方の門外にまたそれぞれ四つずつの小地獄(別処とも眷属地獄ともいう)があり、このほか、八寒地獄、孤地獄などがあるという。また、閻魔大王(えんまだいおう)が死者の生前の罪を審判し、牛頭(ごず)、馬頭(めず)などの獄卒の鬼に命じ呵責(かしゃく)を与えるという。地獄界。地獄道。奈落(ならく)。冥府。
    1. [初出の実例]「願淪廻於地獄熱煩苦、餓鬼飢餓苦畜生逼迫苦等衆生、早得出離、同受安寧」(出典:千手千眼陀羅尼経跋‐天平一三年(741)七月一五日)
    2. 「然ありける報いに、かかる身となりぬ。来む世には地ごくの底に沈みて浮かむ世あらじ」(出典:宇津保物語(970‐999頃)吹上下)
    3. 「黄泉(よもつくに)は地獄ぞ」(出典:日本書紀兼倶抄(1481))
    4. [その他の文献]〔法華経‐譬喩品〕
  3. キリスト教で、悔い改めのない罪人が死後行くところ、あるいはその状態をいう。
    1. [初出の実例]「狂妄(しれもの)よといふ者は地獄(ヂゴク)の火に干(あづか)るべし」(出典:引照新約全書(1880)馬太伝福音書)
  4. に落ちたような苦しみの境界。救いがたい状態。
    1. [初出の実例]「罪を犯し法を謗れば、心地獄と成り」(出典:大応国師法語(1308頃))
    2. 「月々の雑誌の小説を読むことは率直に言って地獄である」(出典:現代文学論(1939)〈窪川鶴次郎〉芸術的価値と政治的価値)
  5. 噴火山や温泉地などで、たえず火煙が燃えあがり、また、熱湯などが吹き出ている所。焦熱地獄のさまを連想していった語。
    1. [初出の実例]「彼の山に地獄(ぢごく)有と云ひ伝へたり。其の所の様は、〈略〉湯荒く涌(わき)て巖の辺(ほとり)より涌出づるに、大なる巖、動く」(出典:今昔物語集(1120頃か)一四)
  6. ひそかに売春行為をする女。私娼。
    1. [初出の実例]「独り身で喰ふや喰はずにゐようより、大家が勧めで、地獄にでも、出ろといふ事を聞かぬ故」(出典:歌舞伎・御摂勧進帳(1773)二番目)
    2. 「巴黎(パリイ)の淫売婦(ヂゴク)」(出典:社会百面相(1902)〈内田魯庵〉ハイカラ紳士)
  7. じごくやど(地獄宿)」の略。
    1. [初出の実例]「カウ、按摩さん、お前(めえ)の所では地獄(ヂゴク)をするのか」(出典:歌舞伎・東海道四谷怪談(1825)序幕)
  8. 劇場で、舞台の床下の部屋。舞台のせり上がってくる所。奈落。
  9. じごくおとし(地獄落)」の略。
    1. [初出の実例]「下女めが細工に穽(をとし)を設(かけ)ますが、夫も極楽なら宜(よう)ござりますが地獄(ヂゴク)さ」(出典:滑稽本・腹佳話鸚鵡八芸(1809)子)

地獄の語誌

( 1 )は平安朝後期までは、もっぱら仏書、願文に見られるだけで、一般の漢詩文や仮名文学にはほとんど例がないが、「霊異記」以下の説話集には一貫して用例が多い。中世以降は、浄土教の流布によって「後生」が問題になり、「往生要集」の詳細な地獄描写が広く浸透したこともあり、一般の人々の間に言葉として定着した。
( 2 )「霊異記‐中」の、地獄から蘇生する法師が「黄竈火物(よもつへもの)」を食うなと言われる例からすると、古くは「地獄」と「よみの国」とが同類に解されていたことが知られる。中世にもその考え方は残存した。近現代では、キリスト教の hell も地獄と訳された。

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改訂新版 世界大百科事典 「地獄」の意味・わかりやすい解説

地獄 (じごく)

死後赴くべき他界の一つ。冥界,冥府,陰府(よみ)などともいい,英語のhell,ドイツ語のHölle,フランス語のenfer,イタリア語のinfernoなどに相当する。一般に,墓地の情景や死体の腐乱過程との連想から生みだされたものだが,超常的な観念や表象によって作りだされた場合もある。〈地獄〉の語はもとサンスクリットに由来し,のちに仏教とともに中国に輸入されると,泰山府君の冥界観と結びついて十王思想を生みだし,さらに日本に伝えられると,記紀神話に描かれる黄泉国(よみのくに)や根の国の考え方と接触融合して独自の地獄思想を生みだした。地獄の観念に共通にみられる特色は因果応報や,受苦と審判の思想である。そのため古今東西を問わず地獄ないし類似の観念は広く認められる。その主要なものを概観する。

古代ギリシアでは地獄の観念は3段階ほどの発展をみせた。一番古い段階のものは墓の中を冥界とする観念で,そこにはエイドラeidōlaとよばれる小さな翼をつけた死者と大蛇が住んでいると想像された。その次の段階を示すものがホメロスの叙事詩の中にみられる〈死者の国〉である。そこはオケアノスによってへだてられた,力なき亡者が影のようにさまよっている世界である。そして最後の段階が,罪を犯した人間に罰と浄化を課する地獄である。たとえばコリントスの邪悪な王であったシシュフォスが堕(お)ちた世界がそれで,彼は石を山頂まで転がしていく作業を永久に続けなければならなかった。ギリシアではこのような地獄を一般にハデスとよび,神名ともなっているが,のちにキリスト教において発達をみた地獄は,ゲヘナである。また新約聖書にはゲヘナのほかにギリシア以来のハデスの語も用いられているが,これはもっぱら死者の霊の赴くところとされ,ゲヘナが悪しき者に永遠の刑罰を加える場所とされているのと好対照をなしている。

 キリスト教の地獄の観念を体系化し,それに感覚的な肉付けを行ったのはカトリック神学であるが,とりわけ地獄と天国のあいだに煉獄(れんごく)を設定したところに特徴がみられる。煉獄は死者が一時的な浄(きよ)めのために赴くところであるが,このような地獄-煉獄-天国の三界遍歴を主題にした宗教文学の代表がダンテの《神曲》である。ダンテの描く地獄は大地の下方にひろがる漏斗状の暗黒世界で,第一獄からはじまって地核にあたる第九獄までの空間から構成されている。イスラム教ではキリスト教の場合と同様に終末論との関係で地獄が問題とされる。そのイメージはとりわけ業火の激しさによって特色づけられており,ナール(火),サイール(炎),ジャヒーム(火のかまど)などの語が地獄をあらわす際に使われる。また,コーランでは地獄のことをジャハンナムjahannamともよぶが,これは前述のゲヘナに由来する。コーランの記述からは地獄の形状は必ずしも明らかではないが,七つの門をもつ巨大な穴としてイメージされており,罪人はここで裁きをうけ,その罪に応じて7層に分けられた場所のどこに住むかが決められるという。

 一般に地獄に堕ちた者の試練は,心身に加えられるさまざまな拷問,罪や苦悩や絶望の感情,出口なしの閉所恐怖症的な狂気などによって彩られ,最後の段階で善行と悪行が秤にかけられ審判を受けることになっている。また,主としてキリスト教世界では地獄的な状態は永遠につづくものと考えられているが,ヒンドゥー教ジャイナ教,仏教やチベット密教など東洋の宗教では,地獄を死と再生のサイクルにおける一時的な場所と考えている。中央アメリカでも,たとえばアステカの《ボルジア絵文書》やマヤの《ポポル・ブフ》などの冥界神話にうかがえるように地獄は死者が永遠の罰として閉じこめられる場所ではなく,むしろ創造のサイクルに必要な移行の地点とみなされている。なお近年ムーディR.A.MoodyやノイズR.Noyesなどの研究により,心理学や精神医学の分野で,山での墜落事故や交通事故などで臨死体験をした者が,天国(極楽)イメージとともに恐怖の地獄イメージを瞬間的に経験(幻覚)するということが注目されるようになっている。さらにそれとの連関では,薬物やある種の精神障害にもとづく幻覚経験においても,同様のイメージやビジョンがあらわれる場合が少なくない。1961年にオシスK.Osisとその協力者たちは臨死患者の体験を記録して細かく分析したが,患者たちによる天国や地獄についての超常経験は,LSDやメスカリンによって引きおこされる幻覚症状に類似しているという。また統合失調症患者はしばしば,終末論的な神話に対応するような宗教的・神秘的な体験について語ったり,それを絵に描いたりしているが,そのなかにも地獄や天国のイメージやビジョンに酷似する場面があらわれるという。そういう観点から反省してみるとき,地獄や天国に関するイメージやビジョンはたんに神話的なできごとや想像上のことがらに属するものと考えるべきものではなく,むしろ人間の表象や意識における普遍的現象でもあるということに注目すべきであろう。

日本の地獄観は,さきにもふれたように記紀神話にあらわれる黄泉国の観念に,インド仏教の地獄観や中国の冥府思想が結びついて独自の発展をとげた。黄泉国は死んだイザナミノミコトが赴いた冥界として知られるが,そこは垂直的な地下世界というよりは,〈葦原中国(あしはらのなかつくに)〉に対する〈四方国(よもつくに)〉,すなわち周縁的な世界として水平的な方向に想定されていたと考えられる。そのことから,黄泉国のあり方を古代墳墓に登場する横穴式石室墳の構造と対比する見方も生まれることになった。このように水平的な方向に他界を想定する記紀神話の見方は,仏教の影響をうけたのちにも基本的に変化することがなかった。たとえば平安初期に作られた日本最初の仏教説話集である《日本霊異記》においては,記紀神話に固有の黄泉-常世観と仏教の地獄-極楽観が重層的に表現されているが,そこでは極楽と地獄が上下の関係においてではなく同一の平面に配置され,現世の地上世界との連続感が強調されている。

 日本人の地獄観で第2に重要なのは,山中に地獄を想定したという点である。日本列島には各地に霊山が存在するが,そのほとんどの山中に阿弥陀が原や賽(さい)の河原などとならんで地獄谷といった地名がつけられている。これは古くからの山岳信仰と仏教とが習合した結果つくりあげられた山中他界観であって,その後の日本人の信仰に大きな影響を与えた。そのためたとえば中世の《地獄草紙》や近世の《立山曼荼羅》などからもわかるように,地獄の景観が山岳世界に求められることが多い。古代末期に作られた《道賢上人冥途記》においては,失神して一時的な他界遍歴をする道賢上人が金峰山浄土で菅原道真に会い,地獄の鉄窟では苛責(かしやく)の苦しみをうけている醍醐天皇と藤原時平を見るが,その場合の浄土と地獄も山中のできごととして語られている。

 日本で最初に描かれた地獄関係の絵は,東大寺二月堂本尊の身光の毛彫のなかにでてくる火炎のなかの鬼であるが,のち平安後期になると,中尊寺に残されている紺紙金泥一切経の見返し絵にみられるように地獄変の図柄があらわれる。また宮廷では,毎年のように年末になると仏名会という懺悔滅罪の法会が行われたが,そのとき周囲には地獄絵を描いた屛風が立て回された。しかし,八熱地獄や八寒地獄などインド以来の仏教のさまざまな地獄観を体系的に記述したのは平安中期の源信であった。彼の主著である《往生要集》の第1章〈厭離穢土(おんりえど)〉は日本の地獄学の先蹤であるといってよく,その地獄の描写は信仰,思想,文学,美術,建築などの面で,その後の日本文化に甚大な影響を与えた。
極楽 →地蔵
執筆者:

〈地獄〉の語は元来サンスクリットのナラカnarakaまたはニラヤnirayaの訳で,地下にある牢獄を意味する。奈落(ならく)または泥犂(ないり)は音訳。仏教の世界観によると,贍部洲(せんぶしゆう)(われわれの住む大陸)の地下に種々の地獄がある。俱舎論によれば,まず八熱地獄があり,上から(1)等活,(2)黒縄(こくじよう),(3)衆合(しゆごう),(4)号叫,(5)大叫,(6)炎熱,(7)大熱,(8)無間(むげん)と重なっている。(1)は責苦をうけて息たえても息を吹きかえして再び責苦をうける地獄,(2)は大工の墨糸でからだに線をひかれ,そのとおりに切られる地獄,(8)は間断なくさいなまれる地獄で,原語アビーチavīciの音訳語〈阿鼻(あび)〉でもよばれる。

 次に副地獄がある。各熱地獄の四方のそれぞれに4種ずつ副地獄があるので,副地獄の数は全体で128になる。4種とは(1)煨(とうい),(2)屍糞(しふん),(3)鋒刃(ほうじん),(4)烈河(れつか)である。(1)では熱した灰(煨)の中を歩かされる。(2)では死体と糞の泥沼につかり,蛆(うじ)虫に骨をうがたれる。(3)では剣の上を歩かされ,剣状の葉に身を貫かれ,剣の刺の密生する木にのぼらされる。(4)では煮えたぎる湯の川に投ぜられる。

 次に八寒地獄がある。(1)頞部陀(あぶだ),(2)尼剌部陀(にらぶだ),(3)頞哳陀(あただ),(4)臛臛婆(かかば),(5)虎虎婆(ここば),(6)嗢鉢羅(うばら),(7)鉢特摩(はどま),(8)摩訶鉢特摩(まかはどま)。(1)では寒さのために身体にはれもの(あばた)ができる。(2)ではそれがつぶれる。(3)(4)(5)では寒さのため〈あたた〉等の悲鳴をあげる。(6)(7)(8)では極寒のために身体が破裂して青蓮華(鉢羅),紅蓮華(鉢特摩)の様相を呈する。

 最後に孤地獄がある。この地獄は組織化されず,各地に散在し,罪人は孤独の状態でさいなまれる。犯した罪に応じて,入る地獄も定まるのだが,その関係は必ずしも明らかではない。六道のうちの最悪の場所であり,僧侶たちは人々を悪行から離れさせるためにしだいに地獄の描写を詳しくしたものと思われる。《正法念処経》《観仏三昧海経》には多くの地獄名が記載されている。仏教の地獄に似たものはヒンドゥー教やジャイナ教でも説かれる。なお,仏教では罪人が地獄におちるのは自業自得の理によるのであり,閻魔(えんま)や審判の思想が生まれるのはやや後世に属する。
執筆者:

地獄という観念が中国文化の中で結晶化したのは,やはり仏教からの影響であろう。最も早い時期の漢訳仏典の中にすでに地獄を説く経典が見られ,南北朝から唐初にかけての《経律異相》や《法苑珠林》などにも地獄の章がたてられ,多くの仏典が引用されている。しかし地獄という観念が中国に定着するについては,その基盤が中国古来の伝承の中にあったのであり,仏教流行のあとにも,中国独自の地獄が伝承され発展している。

 先秦時代,君主や功臣たちが,死後,天帝のもとで生活しているという観念は経典や金文資料に見えるが,一方,死者が地下にいるという観念の存在も,たとえば《春秋左氏伝》に記述される鄭の荘公の〈大隧(たいすい)の歌〉の故事からうかがわれる。おそらく一般の民衆は死者の行方を地下に考えることが多かったのであろう。江陵の前漢墓出土の〈地下の丞〉にあてた文書は,地下に死後の世界を考えていたことの明証であり,後漢墓から死者の罪を解除することを願う文章を朱書した壺が出土することは,死者が生前の罪により罰せられるという観念がすでに存在したことを示唆する。これらは仏教的な地獄を受容する際,その基礎となったであろう。また文献資料によれば,漢代の人々は死者の行く所として泰山を考え,そこには泰山府君という支配者がおり,人々の寿命を記した帳簿もそこにあると考えていた。初期の漢訳仏典で,地獄の語の代りに〈泰山〉の語が用いられるのは,そうした中国の伝承を利用したものであり,逆に泰山にある死者の世界も仏教の地獄に似たものとして描かれることにもなる。泰山とならぶもう一つの中国的な死者の世界,羅酆都(らほうと)(酆都)の詳しいようすが述べられるようになるのは六朝中期ごろからで,《真誥(しんこう)》に見えるそれは中国から遠く隔たった北方の地にあるのであるが,やがて四川省の酆都に地獄があるのだとされるようになり,近世,その地では地獄にまつわる呪術的信仰と民間伝承とが発達した。道教内部にあっても,仏教の影響を受け,また民間伝承も取りこんで,唐代にはすでに八地獄,二十四地獄,三十二地獄といった地獄の組織化がなされている。また唐末ごろには,道教・仏教や民間信仰をごちゃまぜにした地蔵十王の地獄が形成され,そこでは閻羅王も泰山府君も同等の地位で死者を取り調べる裁判官として登場する。

 中国的な地獄の第1の特徴は,現世の裁判制度をそのまま反映し,地獄にも官僚制的な要素が多く付随することであろう。地獄で受ける苦しみも現世の刑罰とあまり異ならず,仏教の嗜虐的な責め苦の記述とは同じではない。地獄は罪のつぐないと浄化の場所であって,道教では,下級の仙人はみずからの身を煉(きたえ)るためにわざわざ地獄に入るともされている。また煉獄的な地獄も考えられている。なおこうした中国的な地獄の組織やそこでの責め苦の様相については,実際にそこに行ってきた人の見聞なのだという枠組みで語り伝えられ,そうした地獄めぐりの物語は,六朝志怪(しかい)小説以来,小説や戯曲あるいは民間伝説など中国文学のさまざまな部面にその素材として取り入れられている。
執筆者:

キリスト教における地獄も,そのなかにさまざまな観念をふくんでいることは,聖書で〈地獄〉を意味するヘブライ語やギリシア語の原語が一様でない事実に照らして明らかである。まず旧約聖書で黄泉あるいは陰府を意味するヘブライ語シェオールsheolが,どんなふうに内容を変えていったかを見よう。黄泉に対する初期の考え方がよくあらわれているのは,《詩篇》の31篇と88篇で,そこでは悪しき者が恥をうけ,啞者のように陰府に下っていく。陰府はヤハウェの立法のらち外にあり,ヤハウェの存在とはなんのかかわりもない。そこへはいった死者は,前世の地上生活を知っている場合もあれば,また全然知っていない場合もある。前者の考え方のほうが古く,それによると,死者はそれぞれ自覚をもち,黄泉での生活は現世の地上生活のおぼろげな再現として意識される。黄泉を全き〈忘れの国〉(《詩篇》88:12)と見る後者の考え方は,《ヨブ記》,とくに7,14,26章で最も明らかに示されている。そこは眠りと,完全な忘却と,沈黙の国である。死者はどんなことが地上で行われているかを知らず,したがって地上の事件に影響を与えることはできない。同じ考え方は《伝道の書》にも強くあらわれ,9章には,〈死者は何事をも知らない,また,もはや報いを受けることもない。その記憶に残ることがらさえも,ついに忘れられる。その愛も,憎しみも,ねたみも,すでに消えうせて,彼らはもはや日の下に行われるすべてのことに,永久にかかわることがない〉とか,〈あなたの行く陰府には,わざも,計略も,知識も,知恵もない〉とかの言葉が見いだされる。

 しかし,バビロン捕囚時代以後の旧約諸書には,終末論にいちじるしい発展が見られ,ペルシアからの影響もあって,古い信仰を固守するサドカイ人をのぞき,死後復活の思想が色濃くはいりこむ。この思想を最もはっきり表現しているのは,《イザヤ書》26章19節の〈あなたの死者は生き,彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ,さめて喜びうたえ。あなたの露は光の露であって,それを亡霊の国の上に降らされるからである〉および《ダニエル書》12章2~3節の〈地のちりの中に眠っている者のうち,多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり,また恥を,限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。賢い者は,大空の輝きのように輝きまた多くの人を義に導く者は,星のようになって永遠にいたるでしょう〉などの言葉であろう。前2世紀ごろになると,死者の住む国についての考えがひじょうに明確となり,悪しき者はゲヘナに投げこまれて永遠に焦熱の苦患をうけ,シェオールには正しき者も悪しき者もともに送られ,それぞれ二つずつの区画を占めることになる。ゲヘナは《ネヘミヤ記》11章30節に出ている〈ヒンノムの谷〉,または《ヨシュア記》15章8節,18章16節に出ている〈ベン・ヒンノムの谷〉からきた語で,谷はエルサレムの南をめぐり,《エレミヤ書》19章2節に見えているように,もと瀬戸かけの門の入口にあり,そこではバアルやモロクへの犠牲として幼児が焼かれ,のちには町のあらゆるがらくたや,動物および罪人の死体などが投げすてられ,それらを焼くためにいつも火の絶えなかった場所である。この谷のもつこうした凶兆が,ミルトンの《失楽園》第1巻で,〈ソロモンのげにも賢い心をあざむき,神の宮の真むこうに,あの不浄の山に宮を造り,美しいヒンノムの谷をわが森としたので,それ以来トペテtophethまたは黒いゲヘナの呼称をえ,地獄の型となる〉と歌われているように,ゲヘナをキリスト教の代表的な地獄の呼び名にした。

新約聖書では,死者の霊の赴くところとしてはハデスが用いられ,悪しき者が永遠の刑罰を受ける場所としてはゲヘナがあてられる。ハデスはホメロス時代には死者を宰領する地下の神の名であったが,のちには死者の霊が住む国(冥府)をさす語となった。それは地下に想定される暗い場所であるが,むしろヘブライ語のシェオールに匹敵する語であって,苛責の獄を意味するものではない。また,《ペテロの第2の手紙》2章4節には,〈神は,罪を犯した御使たちを許しておかないで,彼らを下界におとしいれ,さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた〉とあるが,この堕落天使たちの住居である〈暗やみの穴〉の原語はタルタロス(神の名でもある)で,ホメロスはこれをハデスよりもさらに下方に設定している。すなわちゼウスがティタンたちを閉じ込めた場所である。地獄ゲヘナに投げ入れられる悪しき者は,はてしなき刑罰を受ける定めであるが,この〈はてしなき〉を意味するギリシア語の形容詞〈アイオニオスaiōnios〉が,〈永い時期〉を意味する名詞〈アイオンaiōn〉に由来するところから,3世紀アレクサンドリア学派のオリゲネス以来,〈永い時期〉は〈永遠〉と異なり,いつかは時満ちて,極悪者はもとより,堕落天使であろうとも救われると考えた神学者も,カトリックおよびプロテスタントを通じて少なくない。しかし初代および中世のキリスト教会では,永遠の刑罰はけっして終わる日がないという点で,正統派の意見は一致していた。この地獄の刑罰の永遠性を論証するために,しばしば引用される聖書の言葉としては,〈彼ら(悪しき者たち)は永遠の刑罰を受け,正しい者は永遠の生命に入るであろう〉(《マタイによる福音書》25:46),〈その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼる〉(《ヨハネの黙示録》14:11),〈彼女が焼かれる火の煙は,世々限りなく立ちのぼる〉(同書19:3),〈彼らを惑わした悪魔は,火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには,獣もにせ預言者もいて,彼らは世々限りなく日夜,苦しめられる〉(同書20:10)などがある。また,キリストがイスカリオテのユダについていった言葉〈人の子を裏切るその人は,わざわいである。その人は生まれなかったほうが,彼のためによかったであろう〉(《マタイによる福音書》26:24)は,もしユダが地獄の刑罰をゆるされるとすればその真実性を失うとの論理によって,よく援用される。

キリスト教の地獄の苦罰を最も具体的に考えているカトリック神学によれば,それは〈喪失の苦罰〉という精神的なものと,〈感覚の苦罰〉という物質的なものとから成り立っている。地獄にいるのろわれた者たちは,至福の直観も,神の中に安らぎを見いだす霊魂の諸能力も失っており,それとともに,すべての超自然的なたまものにも見はなされる。その結果,極度の空虚が彼らを訪れ,空虚感ははかり知れない苦悶をひきおこす。一時的のむなしい快楽を求めれば求めるほど,最上の祝福を失ったことがいよいよはげしく自覚され,わが身のみじめさがいよいよ痛切に感じられる。このような状態にあっても,もし天主をまのあたりに見ることができるなら,地獄も一種の天国となるであろうが,それが全く失われているために,永遠の苛責がつづくのである。

 つぎに感覚の苦罰とは,聖書の中に,〈見よ,彼らは藁(わら)のようになって,火に焼き滅ぼされ〉(《イザヤ書》47:14)とか,〈地獄の火〉(《マタイによる福音書》5:22)とか,〈炉の火〉(同書13:50)とか,〈永遠の火〉(同書18:8)とか,〈地獄では,蛆がつきず,火も消えることがない〉(《マルコによる福音書》9:44)とか,〈硫黄の燃えている火の池〉(《ヨハネの黙示録》19:20)とか表現されている〈火による苦しみ〉をさす。多くの神学者たちは,この火を物質的な実際の火と解している。なおこの二つの本質的な苦罰の上に,地獄にある者はわずかの真のよろこびをも経験することができないとか,同じ苦罰を受けて苦しむ者の間に住むことにより,苦しみがますます痛切となるとかの,偶有的な刑罰が加えられる。

上に引用した《マタイによる福音書》25章46節のことばにも明らかなように,悪しき者のおもむく地獄と対比して,正しい者のはいる永遠の生命,すなわち〈天国〉が当然考えられてくる。天国をあらわすギリシア語〈パラデイソスparadeisos〉はペルシア語に由来し,それはペルシアの王たちが宴楽する広い囲いのある遊園を意味した。それがキリスト教にとり入れられて,エデンの園や至福者の赴く天上の住所をあらわすようになったが,キリスト教の教理はさらに展開して,永遠の苦罰には値しないが,なお一時的な浄めを必要とする死者の赴くところとして,煉獄を立てる。しかし煉獄の原初的思想は,早くからユダヤ民族の間にあり,彼らは死者の魂は死後1年間,もとの肉体や,それがとくに愛した場所や人を訪れると信じていた。この中有の状態は,〈アブラハムの胸〉〈エデンの園〉〈ゲヘナの上〉など,いろいろな名称でよばれていたのを,キリスト教の初代教父たちが,新約聖書の《ヨハネの黙示録》6章や,《ペテロの第1の手紙》3章などを援用して,ついに煉獄の教理にまで仕上げたものである。

西洋で地獄が造形芸術の対象となるのは中世以後で,キリスト教以前の多神教時代の遺品には地獄を主題とした見るべき作品はほとんどない。中世キリスト教美術では,〈最後の審判〉図の中に審判者キリスト,大天使ミカエル,善人と悪人の群れとともに天国と地獄の図を表現することが行われ,ロマネスクとゴシックの教会堂西正面のタンパン浮彫にその例を見る。ダンテの《神曲》以後,地獄を主題とした美術作品が多くあらわれるようになるが,これらは中国や日本の現実的な地獄描写と異なり,残酷さを強調せず,むしろ絵画または彫像としての独自の芸術性を追求している。16世紀には,好んで地獄を描いたため〈地獄のブリューゲル〉とあだ名されたピーテル・ブリューゲル(子)がフランドルにあらわれ,《地獄のオルフェウス》《煉獄の亡魂を救うキリスト》など,異教・キリスト教二つにわたるさまざまの地獄図を世に残した。近代になるとドラクロア,W.ブレーク,ドレなどが知られる。またロダンに《地獄の門》がある。

 文学にあらわれた地獄は,これを広義に解するとなかなか豊富な内容を提供する。《神曲》や《失楽園》のように,地獄そのものを対象としたものはもとより,終末論にふくまれている地獄の意義がその対象となるであろう。さらに近代文学では,地獄を象徴的・比喩的に使うことがしばしば行われるので,その範囲がいよいよひろまる。
他界 →天国
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地獄 (じごく)

火山や温泉,地熱地帯で,高温のガスや熱湯が噴き出す場所の俗称。岩石が著しく変質して粘土状となり,さまざまな色の昇華物や沈殿物が付着し,植物もほとんど生えず,荒涼とした光景をしているのでこの名がある。噴気孔から噴き出す有毒ガスのため,鳥,昆虫,獣類などが死ぬことがあり,鳥地獄,虫地獄,タヌキ地獄などと呼ばれることもある。ときに人間が知らずに近寄って被害を受けることもあり,注意が必要である。北海道の登別温泉,大分県の別府温泉などでは,色彩の特徴や状態からいろいろな名前をつけて呼んでいる。竜巻地獄というのは間欠泉や噴騰泉が激しく噴出するものであり,血ノ池地獄は温泉の中に水酸化鉄が沈殿しているため血のように赤色を呈するもの,坊主地獄または〈ぼっけ〉は,沈殿物や温泉粘土が泥水状にたまった池の中からガスが泡をつくって噴き出してくるものをいう。このような場所では,生物がまったく生息できないわけではなく,特殊な藻類や昆虫は生き続けることができる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「地獄」の意味・わかりやすい解説

地獄(宗教)
じごく

字義は地下の牢獄(ろうごく)を意味し、梵語(ぼんご)のナラカnaraka(奈落)、またはニラヤnirayaが語源。死によって、人間が現世とは別な世界へ赴くという観念は、多くの宗教や神話に普遍的にみられる。普通、他界とよばれるのは、そうした死者の住む世界をさしている。地獄は他界の一種で、罪を犯した人間が罰や苦しみを受ける他界のことである。外国語では、hell(英語)、Hölle(ドイツ語)、enfer(フランス語)などがこれに相当する。

[林 淳]

地獄の始まり

原始宗教や古代神話における死者の住む世界は、懲罰を伴うものではない。地下にあり、暗くゆううつな墓場を思わせる所と考えられている。バビロニアおよびアッシリアの死者の住まいであるアラルaralluは、暗くて出るに出られず、ほこりと泥とを食べる所であった。古代ギリシアのホメロスの『オデュッセイア』では、地の果ての島、あるいは地下の国のもっとも暗い所に死者がいるとされる。オデュッセウスは、冥界(めいかい)を訪ねて、獣の犠牲を捧(ささ)げ、その血によって死者の霊魂を招き寄せ、亡母や戦死した僚友と語り合い、ふたたび故郷に戻る。『古事記』でも、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国に下り、妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)に蛆(うじ)がたかっているのを見て、ほうほうのていで逃げ帰るという物語がある。死者の国は、暗く恐ろしい所でありながら、生者が行くことができる点で、身近な在処である。生と死、この世とあの世は、川や坂などで隔てられているものの、相互に往復・交流が可能なのである。懲罰的な地獄観が現れるのはゾロアスター教からで、死者は「チンバト橋」の前で善悪を裁かれ、善人が渡るときに橋は渡りやすく広がるが、悪人が渡るときには縮んで渡れず、火のない暗く寒い地獄に落ちる。古代エジプトにおいても冥界の王オシリスが死後の審判を行う。しかし、現世で宗教的な善行を積まなければ死後地獄に落ちるという思想が明確になるのは、仏教、キリスト教、イスラム教のような世界宗教の発生以降のことである。

 人種、民族、国家の枠を越えて伝播(でんぱ)した世界宗教では、現世における富や社会的地位は否定される。これらのものは、人間の苦からの離脱、人間の罪からの救済にはいっさい役にたたない。そのかわりに来世での救済が強く望まれる。現世と死後の世界は、相互に往復・交流できる関係ではなくなり、断絶が強調される。死後の世界は、善悪の倫理観の分化とともに、遠い二つの世界に分化する。天国・極楽は切実な願望の対象として、また地獄は恐怖の対象として現世の生活を支配する。現世の人間は、不安や苦痛や煩悩(ぼんのう)に満ちた仮の存在であり、天国・極楽に至るための宗教的な善行を積もうとし、さもなくば地獄へ落ちると信じられる。そこには世界宗教の教説が、民衆に浸透する際の因果応報観が働いている。ヨーロッパでは、中世に死後の運命への関心が異常に高まり、日本においては、平安時代末期から鎌倉時代にかけて熱烈な極楽往生を求める動きがあった。

[林 淳]

仏教

仏教においては、生物が輪廻(りんね)する六道(天、人間、阿修羅(あしゅら)、畜生、餓鬼、地獄)の最下層に地獄が置かれている。倶舎(くしゃ)論の説くところでは、八大地獄といい、等活(とうかつ)(殺生(せっしょう)の罪)、黒縄(こくじょう)(殺生、盗みの罪)、衆合(しゅごう)(邪淫(じゃいん)の罪)、叫喚(きょうかん)(殺生、盗み、邪淫、飲酒(おんじゅ)の罪)、大叫喚(上の四つの罪に加えて、妄語(もうご)の罪)、焦熱(上の五つと邪見の罪)、大焦熱(上の六つと尼を犯した罪)、阿鼻(あび)(または無間(むげん)。父母を殺したり、仏を傷つけたりする罪、仏法非難の罪)がある。おのおのの地獄には、さらに16の地獄があるから、大小あわせると136の地獄があり、そのほかに八大地獄の傍らに八寒(はっかん)地獄があって、衆生(しゅじょう)が厳寒に苦しめられている。古代インドのベーダでは、地獄にあって死者を審判するのは死者の王ヤマである。ヤマは漢訳では閻魔(えんま)と書き、仏教とともに中国に伝えられ、まったく中国的存在になった。冥界にいる10人の王の1人として、閻魔は信仰されるようになった。地獄の観念は、原始仏教の時代までさかのぼるが、それと対比される浄土の観念は、仏教が中国に伝えられて以降に生まれる。地獄のほうが歴史的にも古く、好んで語られ、絵の題材にも取り上げられた。これを「地獄変」といい、俗には「地獄絵」「地獄図」という。日本では平安時代中期に源信の『往生要集』が著されてから、「地獄変」や地獄草紙の類がつくられるようになった。

[林 淳]

キリスト教

『旧約聖書』では、死者の国をシェオールsheolとよび、深い闇(やみ)に覆われ、地下の淵(ふち)のかなたにある。バビロン捕囚以降、終末論に著しい発展がみられ、ゾロアスター教の影響もあって、死後復活の思想が色濃く入り込む。「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥を、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう」(「ダニエル書」12章2~3)というように、地獄の観念が明確になってくる。『新約聖書』では、死者の霊の赴く所はハデスとよばれ、シェオールと同一の意味に用いられる。それに対して、悪しき者が永遠の刑罰を受ける所はゲヘナGehennaである。ゲヘナは、ヒンノムの谷にあり、バール崇拝の供犠(くぎ)として幼児が焼かれ、のちに疫病人、犯罪者、畜殺動物の焼却場になった所である。『新約聖書』には、「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ」(「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」25章41)、「この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです」(「マタイ伝福音書」25章46)とある。パウロは、有罪とされる者の範囲を広げて、偶像を礼拝する者、姦淫(かんいん)する者、男色する者、盗む者、そしる者などを含めるようにした。またパウロによれば、神を認めず主イエスの福音に従わない者は、永遠の滅びに至る罰を受けるという。こうした初期キリスト教の思想のもとに、死後の審判は、中世カトリックにおいて華々しく流行した。カトリックでは、一時的な浄(きよ)めを必要とする煉獄(れんごく)が天国と地獄の中間に設けられ、信仰された。ダンテの『神曲』は、地獄、煉獄、天国の三界遍歴を主題にしている。このほかにも中世以降、地獄は文学、絵画、彫刻のテーマとして盛んに取り上げられた。

[林 淳]

イスラム教

イスラム教では、この世の終末に神による審判がある。生前の信仰や行為がすべて記録されている帳簿が手渡され、秤(はかり)にかけられる。「秤が重く下がった者」は楽園に、「秤が軽くはね上がった者」は地獄に落とされ、それぞれ相応の報いを受ける。不信仰で不義をはたらいた者は永遠の責め苦を受ける。火の衣服が仕立てられ、その頭上から熱湯が注がれる。彼らの皮膚や内臓は溶けただれてしまう。燃え上がる業火(ごうか)に焼かれ、熱湯を飲まされ、与えられる食物は刺(とげ)のある草ばかりである。このようにコーランのなかでは、地獄の恐ろしさを生々しく描いているが、地獄の形状は具体的に語られてはいない。後代には、地獄に七つの門があり七つの層に分かれていると説かれたり、途方もなく巨大な怪獣であると考えられたりした。これに対して、コーランにおいては、天国での生活が克明に描かれている。そこでは、こんこんと湧(わ)き出る泉のほとりがあり、緑したたる樹陰で絹の寝台に横たわり、おいしい食物や果物を食べ、美しい乙女を妻として与えられ、なに不自由ない安楽な生活を送ることができる。イスラム教では、天国も地獄も具体的なイメージをもって語られているが、絵画や彫像によって視覚化されることは少なかった。

[林 淳]

『ダンテ著、山川丙三郎訳『神曲』(1953・岩波書店)』『フランソワ・グレゴール著、渡辺照宏訳『死後の世界』(1958・白水社)』『渡辺照宏著『死後の世界』(1959・岩波書店)』『堀米庸三編、堀越孝一訳「中世の秋」(『世界の名著55 ホイジンガ』1971・中央公論社)』『川崎庸之編「往生要集」(『日本の名著4 源信』所収・1972・中央公論社)』『柳川啓一他著『地獄と人間』(1976・朝日新聞社)』


地獄(地熱現象)
じごく

噴気孔、硫気孔、沸騰泉、間欠泉、泥火山、湯沼(ゆぬま)などの激しい地熱現象を古来日本では地獄とよんでいる。また炭酸ガスを噴出する地域や大きな冷泉に地獄の名がつけられている所もある。赤色に見えるものを血の池地獄、紺色に見えるものを紺屋(こんや)地獄とよぶなど全国的に共通した呼び名もあるが、伝説に由来した名、虫地獄や鳥地獄など小動物がそこで死ぬことにちなんだ名、竜巻(たつまき)地獄、泡沸(ほうふつ)地獄など噴出状況を表した名などいろいろな名称がつけられている。

[湯原浩三]


地獄(バルビュスの小説)
じごく
L'Enfer

フランスの作家バルビュスの長編小説。1908年刊。パリのあるパンシオンに寄宿する懐疑的詩人が、自室の壁の穴から、隣室に展開するさまざまな人間模様を目撃する。兄妹として育てられた幼い男女の初めて性に触れるおののき、人目を恐れる同性愛の2人の女、医師と病人、死の間近い老人とその年若い婚約者など、さまざまな境遇の屈折した人間像が赤裸々に描き出される。一見、自然主義的作風で猟奇的外観のこの作品には、若き日の作者の人間観、社会観が明瞭(めいりょう)に読み取れる。後年、社会主義の道をたどる作者の姿勢がすでに観取されよう。

[稲田三吉]

『田辺貞之助訳『地獄』(岩波文庫)』

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百科事典マイペディア 「地獄」の意味・わかりやすい解説

地獄【じごく】

死後に赴くとされる他界の一つ。仏教では,罪を犯した人間が死後に行く所とされ,地下または地の果てにあるという。サンスクリットのnarakaに由来し,音写は奈落(ならく)。経論により種々説かれるが,無間(むげん),八熱(八大),八寒,孤独など136の地獄がある。源信の《往生要集》における地獄の描写はのちの日本文化に大きな影響を与えた。地獄類似の観念は各民族に存在し,ギリシア神話ではタルタロスハデスがある。北欧神話にはヘルHelがあり,英語のhellの語源となっているが,キリスト教でも地獄にはいくつかの区別がみられる。ヘブライ語のシェオールSheolは,死者の魂が住む地下深く闇(やみ)と沈黙の世界で,古くはヤハウェの力も及ばないとされた。《新約聖書》でゲヘナGehennaというのは,エルサレム南方にあった汚物や死体の焼却場〈ヒンノムの谷〉が語源で,永遠の火が燃え,神を拒絶した者が永久に苦しめられる所。カトリックの観念としては,ダンテの《神曲》で描かれているように,大罪を犯した者が行くインフェルヌムInfernumと,小罪のある者が行くプルガトリウムPurgatorium(煉獄)がある。→
→関連項目地獄変天国黄泉国六道

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地獄」の意味・わかりやすい解説

地獄
じごく
hell

サンスクリット語のナラカ narakaの訳。那落迦 (ならか) ,奈落 (ならく) などと音写され,自己の悪業によっておもむく極苦の世界とされている。無間地獄 (むけんじごく) ,八大地獄,現在われわれの住んでいる世界などに孤立して散在するといわれる孤地獄,辺地獄など数多くの種類の地獄が考えられている。地獄またはこれに類する死後の苦痛の場に関する観念はほとんどの民族に共通で,ギリシア神話,ゲルマン神話などにもその具体的な描写がみられる。ユダヤ教,特に後期ユダヤ教もオリエント諸宗教の影響を受けて地獄の観念を発達させ,キリスト教,イスラム教などもこれを継承したが,特に前者は地獄の永遠性,その苦痛の無限性,その本質などを理論的次元で説明しようとしている。しかし地獄の具体的状況の描写には,いずれも民衆の想像力によるものが多く,またキリスト教など全善全良なる神を信じる宗教にあっては,これと永遠無限なる地獄の存在をどのように両立して考えるかが問題となっている。

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デジタル大辞泉プラス 「地獄」の解説

地獄〔映画〕

1979年公開の日本映画。監督:神代辰巳、脚本:田中陽造、撮影:赤塚滋。出演:原田美枝子、岸田今日子、石橋蓮司、林隆三、栗田ひろみ、西田健、田中邦衛ほか。

地獄〔絵本〕

宮次男監修、白仁成昭による絵本作品。1980年刊行。千葉県南房総市・延命寺所蔵の絵巻を絵本化したもの。

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普及版 字通 「地獄」の読み・字形・画数・意味

【地獄】じごく

苦悩の所。

字通「地」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の地獄の言及

【宇宙】より

…南の贍部洲が〈われわれ〉人類の住む大陸である。この下に地獄や餓鬼界がある。太陽と月は須弥山の中腹の高さにあり,四つの洲の上を巡る。…

【火山】より

… 火山は甚大な災害をひきおこし威力に満ちているが,一方で独特の美しい景色や温泉をもたらし,火山灰は畑地の多くを形成した。火山の溶岩のつくり出す荒涼たる景観や熱泉,噴気孔の盛んな活動はしばしばこの世の地獄と見られ,《和漢三才図会》巻五十六には,〈日本に地獄あり,みな高山の頂,常に焼けて温泉絶えず,肥前の温泉,豊後の鶴見,肥後の阿蘇,駿河の富士,信濃の浅間,出羽の羽黒,越中の立山,越の白山,伊豆の箱根,陸奥の焼山等のごとき,頂(かか)と燃え起こり,熱湯汪汪(おうおう)と湧き出で,さながら焦熱修羅の形勢あり〉とある。《今昔物語集》巻十四の七,八話には,立山の地獄で死者の霊に会った話が記されている。…

【ゲヘナ】より

…旧約聖書《ヨシュア記》18章16節および《列王紀》下23章10節で言及される〈ヒンノム(の子ら)の谷〉のことで,元来エルサレムの城壁の南にある谷をさした。古来ここで幼児犠牲が行われ,また後に町の汚物や動物・罪人の死体が焼却されたことから,死後悪人が罰せられる場所,すなわち〈地獄〉の同義語となった。新約聖書ではすべて地獄の意で用いられ,しかも元来の地名との関連で〈火〉との強い結合を示している。…

【最後の審判】より

…昇天図の下辺に,よみがえった人々(《コリント人への第1の手紙》15:52)も小さく付加して,この原始的な審判図は形成されたといえる。これに後になって必要な要素,すなわち十字架,大天使ミカエル,善人の群れと悪人の群れ,天国地獄などが加えられ,中央高所に君臨する審判者キリストを中心に構図を作って,本格的な〈最後の審判〉図像が実現される。 このような審判図像について,その主となった典拠が《マタイによる福音書》によるものと,《ヨハネの黙示録》20章によるものとの2者に大別され,さらに2者の混合したものがあらわれる。…

【他界】より

…これによって,死後の生という経験的に立証することのできない事象が,人々の心象世界のなかにある種の実在感をもって根をおろすことができるのである。仏教やキリスト教のような組織宗教の場合には,こうして呈示される他界のイメージは,天国極楽にしても地獄にしても,一応の一貫性をもっているが,組織化の進んでいない宗教や民間信仰の場合は,互いに矛盾するいくつものイメージが共存していることが多い。たとえば日本の民俗宗教においては,山岳の頂きを他界の在所とする山上他界観や,海の彼方に他界があると考える海上他界観,あるいは洞窟などを他界の入口とみなすような地中(地下)他界観が併存している。…

※「地獄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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