翻訳|punk
1970年代中期から後期にかけてアメリカで発生、後にイギリスを経て世界中へと波及した、ロック・ミュージックの脱構築運動。
70年代初期のニューヨークでは、CBGBやマクシズ・カンザス・シティといったアンダーグラウンドなライブハウスに若いロック・ミュージシャンが集まり、そのなかからパティ・スミス、テレビジョン、リチャード・ヘル&ボイドイズ、ラモーンズなどのグループが出現する。彼らの採用した音楽スタイルはさまざまであったが、いずれも形骸化した主流のロック・ミュージックと一線を画し、簡素ながらも荒々しいエネルギーをぶつけるものであった。これらのグループとその活動を指してニューヨーク・パンクと呼ぶ。
当時ニューヨークに滞在しニューヨーク・パンクを目撃したイギリス人、マルコム・マクラーレンは、自身のもくろむネオ・ダダ的な文化活動をこのムーブメントによって実現することを狙って、ロンドンにあった自身のブティック「セックス」にたむろしていた若者4人を集め、セックス・ピストルズをデビューさせる。セックス・ピストルズはボーカルのジョニー・ロットンJohnny Rotten(1956― 、本名ジョン・ライドン John Lydon)の扇情的な歌唱と、ベースのシド・ビシャスSid Vicious(1957―79)の破壊的な言動で一躍注目され、パンク・ロックはイギリスのロックの新たな波となった。
同時期にデビューしたクラッシュ、ダムドとセックス・ピストルズを称して三大パンク・バンドと呼ぶが、他にも60年代ロックの伝統に依拠したジャム、オイ(右翼的なイデオロギーを持つパンク・ロック)の代表的バンド、シャム69など、この時期多くのパンク・グループがイギリスのロック・シーンをにぎわした。これらイギリスのパンク・グループの多くはロンドンを中心に活動しており、これをニューヨーク・パンクに対してロンドン・パンクと呼ぶ。
ロンドン・パンクの象徴的グループであったセックス・ピストルズは78年のアメリカ・ツアー中に解散し、その直後ビシャスはガールフレンドを殺害した後ドラッグの過剰摂取により破滅的な死を遂げた。このころからパンク・ロックは下火になり、パンクの影響はその後二つの流れに分岐することになる。パンクの宣言したロックの脱構築運動をより主流のポップ・ミュージックの領域で押し広げるニュー・ウェーブと、パンク・ロックの破壊的なサウンドをより徹底させるハードコア・パンクの二つである。
ハードコア・パンクは80年代初頭、ディスチャージやG.B.H.、エクスプロイテッドといったイギリスのグループによって開始されたが、後にその中心はアメリカのアンダーグラウンド・ロック・シーンに移り、ロサンゼルスのブラック・フラッグやミネアポリスのハスカー・ドゥ、ワシントンDCのマイナー・スレットなどのグループの活動を経て、90年代に浮上するグランジやメロ・コア(メロディック・ハードコアの略称。メロディックなボーカルがのるパンク・ロックの一つ)などの新たな派生的ジャンルを準備することとなった。
[増田 聡]
『ディック・ヘブディジ著、山口淑子訳『サブカルチャー――スタイルの意味するもの』(1986・未来社)』▽『水上はるこ著『さよなら ホテル・カリフォルニア』(1987・シンコー・ミュージック)』▽『ジョン・サベージ著、水上はるこ訳『イングランズ・ドリーミング――セックス・ピストルズとパンク・ロック』(1995・シンコー・ミュージック)』
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(上間常正 朝日新聞記者 / 2007年)
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