ロッジ(読み)ろっじ(英語表記)Thomas Lodge

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロッジ」の意味・わかりやすい解説

ロッジ(Oliver Joseph Lodge)
ろっじ
Oliver Joseph Lodge
(1851―1940)

イギリス物理学者。1881年に新設のリバプール大学物理学教授となり、エーテル電磁波の研究を行った。マイケルソンモーリー実験のあとにもかかわらず、1893年エーテルが物体の運動に随伴するかどうかという実験を行い、否定的な結果を得た。彼がコヒーラーと名づけた電磁波の検波管の発明も有名。1900年バーミンガム大学総長に選ばれ、物理学会や大英科学振興会の会長を歴任した。第一次世界大戦で息子を失って以降、心霊術に熱中した。

[川合葉子]


ロッジ(Henry Cabot Lodge)
ろっじ
Henry Cabot Lodge
(1850―1924)

アメリカの政治家、法律家、文筆家ボストン名門の出でハーバード大学、同法学校を卒業、政治学博士となる。一時同大学で歴史学を講義したこともある。また思想・歴史家のH・アダムズと『北アメリカ評論』誌を編集(1873~76)。連邦下院議員、同上院議員を歴任し、共和党保守派指導者として重要な役割を演じ、保護関税を主張し、銀貨自由鋳造、上院議員直接選挙、女性参政権などに反対した。また帝国主義的海外膨張を推進し、フィリピン領有に賛成、パナマ運河建設を企図するT・ルーズベルトの策動を支持した。ウィルソン大統領に対抗、上院外交委員長としてベルサイユ条約と国際連盟加盟に反対した。

[高橋 章]

『W. C. WidenorHenry Cabot Lodge and the search for an American foreign policy(1980, University of California Press, Berkeley)』


ロッジ(Thomas Lodge)
ろっじ
Thomas Lodge
(1558?―1625)

イギリスの詩人、散文作家、劇作家ロンドン市長を父とする、「大学才人派」の1人。冒険家としてカナリア諸島や南アメリカに航海し、晩年には医者になった。シェークスピア『お気に召すまま』の種本になった伝奇物語『ロザリンド』(1590)の著者として知られる。ほかにソネット集『フィリス』(1593)などがあり、叙情性と技巧的な美文体が特色。

[上野美子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロッジ」の意味・わかりやすい解説

ロッジ
Lodge, Thomas

[生]1558頃
[没]1625. ロンドン
イギリスの詩人,物語作家,劇作家。ロンドン市長の息子で「大学出の才人」の一人。 1580年頃,S.ゴッソンの演劇攻撃に対する反論を書いて文筆生活に入ったが,一時は冒険家を志してカナリア諸島や南アメリカへ航海,最後は医師として生涯を終えた。シェークスピアの『お気に召すまま』の種本となった伝奇物語『ロザリンド』 Rosalynde,Euphues Golden Legacy (1590) のほか,戯曲『内乱の傷』 The Wounds of Civil War (88) ,『ロンドンとイングランドの鏡』A Looking-Glass for London and England (90) ,恋愛ソネット集『フィリス』 Phillis (93) など。

ロッジ
Lodge, Sir Oliver Joseph

[生]1851.6.12. スタッフォードシャー,ベンクフル
[没]1940.8.22. ウィルトシャー,レイク
イギリスの物理学者。ロンドンのユニバーシティ・カレッジ卒業。同大学応用数学助教授 (1879) ,リバプール大学物理学教授 (81) ,バーミンガム大学初代学長 (1900) 。電波の検波器の研究を進め,それを無線電信の受信機 (コヒーラ) として開発 (1894) 。また太陽が電波源であることを早くから示唆した。相対性理論や原子構造の理論に関心をもち,その誕生期にこれを擁護した。 1910年以降心霊現象に興味をもち,これを科学的に研究し,さらに宗教と科学の調和をはかろうとした。ロイヤル・ソサエティ会員 (77) 。 02年ナイトの称号を与えられた。

ロッジ
Lodge, Henry Cabot

[生]1902.7.5. マサチューセッツ,ナーント
[没]1985.2.27. マサチューセッツ,ベバリー
アメリカの政治家。先祖から6人の上院議員を出した名門に生れた。ハーバード大学卒業後,『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙記者。 1933~36年マサチューセッツ州議会議員。 36,42,46年の3度共和党から上院議員に当選,52年 J.ケネディに敗れて上院議員の座を譲った。 53年 D.アイゼンハワー大統領の任命により国連常駐代表。 60年 R.ニクソン大統領候補と並んで共和党の副大統領候補に指名されたが惜敗。 63~64,65~67年南ベトナム駐在大使,69年1~11月パリ会談首席代表。 70~77年バチカン駐在特使。

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