ハイデラバード王国(読み)ハイデラバードおうこく(その他表記)Hyderābād

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイデラバード王国」の意味・わかりやすい解説

ハイデラバード王国
ハイデラバードおうこく
Hyderābād

インド,デカン高原南部のハイデラバードを都としたムスリム王国 (1724~1948) 。 1724年ムガル帝国の武将ニザームル・ムルクがムガル帝国から独立してハイデラバードを都として王朝を創始した。それ以後,この王朝の歴代の王はニザームの号を称し,王朝がニザームの名で呼ばれることもあった。 18世紀を通じてデカン地方と南インドでは,マラータ勢力,ハイデラバード王国,マイソール王国の間に三つ巴の戦争が続き,それにイギリス,フランスが介入して戦いのやむ間もない状態であった。ハイデラバード王国は 66年イギリス東インド会社攻守同盟を結び,いわゆるマイソール戦争 (マイソール王国とイギリスとの間の戦争) にはイギリス側に立った。 19世紀になって,マラータやマイソールはイギリスによって滅ぼされたが,ハイデラバードは藩王国として存続することを許され,インドで最大のムスリム藩王国であった。 1947年インド・パキスタンの分離独立の際には,ムスリム王朝としてのハイデラバードの去就が注目されたが,48年9月インドが武力で占領した。

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