マラータ(英語表記)Marāthā

デジタル大辞泉 「マラータ」の意味・読み・例文・類語

マラータ(Marāṭha)

インド中部、デカン高原から西海岸に至るマハラシュトラ地方に居住する種族ヒンズー教徒で、中世以来独立を保持し、1674年、シバージーがマラータ王国を建設してムガル帝国対抗。18世紀中ごろからは諸侯の連合体であるマラータ同盟を形成し、北インドにも勢力伸長。1775年以来、イギリスの東インド会社と三度の戦争(マラータ戦争)を行ったが敗れ、1818年にイギリスの支配下に入った。マラーター。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マラータ」の意味・わかりやすい解説

マラータ
Marāthā

インド,マハーラーシュトラ州の人口の過半を占めるカースト。またマハーラーシュトラ地方人一般を意味することもある。これは 17世紀以降マハーラーシュトラ地方が,いわば「民族」的まとまりと伝統とをもっていたことによる。すなわちマラータは 17世紀中葉,シバージーを指導者としてデカン・ムスリム諸王国やムガル帝国と戦い,1674年にマラータ王国を創始。 18世紀初頭にはムガル帝国に代ってインド最大の政治権力となった。その勢力範囲は東はベンガル,北はデリー北方にまで及び,プーナにいた宰相 (→ペーシュワー ) を中心として,諸地域に独立した勢力をもつ諸侯の間に連合を保ったが,1761年アフマッド・シャー・ドゥラーニーに敗れ,次いで 18世紀末~19世紀初頭に行われたマラータ戦争により衰退し,1818年にペーシュワーは廃され,その領土はイギリスに併合された。 19世紀末からはプーナ市を中心としてマラータの民族解放闘争が高揚し,M.ラーナデー,G.ゴーカレー,B.ティラクなどの著名な指導者を生み出した。このようにマラータは特殊な「民族」的なまとまりと伝統をもった集団としてインド政治に常に重要な役割を果してきた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android