ハイデラバード(読み)はいでらばーど(英語表記)Hyderabad

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハイデラバード」の意味・わかりやすい解説

ハイデラバード(インド)
はいでらばーど
Hyderabad

インド南部、アンドラ・プラデシュ州の州都デカン高原のほぼ中央部に位置し、クリシュナ川の支流ムシ川に沿う。人口344万9878(2001)。市街地はムシ川沿いの旧市街と、その北にフセイン人造湖を挟んで建設された旧イギリス軍駐屯地シカンダラバードからなり、インド独立後は両者の中間に官公庁、商店からなる新市街が発達した。旧市街には藩王の宮殿のほか四つの塔をもつチャール・ミナール、メッカ・マスジッドなどイスラム寺院が多い。この都市の歴史的経過から市民にはウルドゥー語使用とタミル語使用がともに多く、そのため行政的、文化的に対立することがある。織物、じゅうたんなどの在来工業のほか、たばこ製紙、機械、化学などの工業団地が建設された。郊外には国際半乾燥熱帯作物研究所(イクリサット)が設立され、耐乾性新品種の開発に取り組んでいる。

[藤原健蔵]

歴史

独立前インドにあった藩王国584中、最大級のハイデラバード首都。1590年ごろ、南インド、ゴルコンダのクトゥブ・シャーヒー王国の首都として第5代スルタンによって建設。1685年、ムガル朝アウランゼーブ帝のとき、その支配下に入ったが、彼の死後始まるムガル朝衰退の過程で、デカン地方長官アーサフ・ジャーが1724年に独立王国の創建を宣言した。同王国は首都の名をとりハイデラバードと称された。19世紀以降はイギリス支配下で限定的内政権のみをもつ藩王国となるが、同市はイギリス軍兵営を中心にその郊外に建設されたシカンダラバードとともに急速に発展し、インドで5番目の大都市に成長した。特色ある建築物が多く、市の建設とともに古い、インド・イスラム風といわれるチャール・ミナール(4塔のイスラム寺院)やメッカ・マスジッド、ニザーム(世襲君主の称号)の宮殿、オスマニア大学(1918創設)などが有名である。

 1947年のインド独立に際し、ニザームは同藩王国の独立的地位を主張するが、インド政府は軍事行動によってこれを併合した。56年11月の言語別州再編措置により、旧ハイデラバード藩王国領はアンドラ・プラデシュ州、マイソール州(現カルナータカ州)、ボンベイ州(現マハラシュトラ、グジャラート両州)に分割され、ハイデラバード市はアンドラ・プラデシュ州の州都となった。

[内藤雅雄]


ハイデラバード(パキスタン)
はいでらばーど
Hyderabad

パキスタン南部、インダス川東岸に面する都市。1950年にカラチにかわりシンド州の州都となる。人口115万1274(1998)、173万2693(2017センサス)。乾燥地帯に位置するが、周辺はインダス川から延びる大用水路網によって灌漑(かんがい)されるため、米、綿花の産が多い。それらを集散するとともに、紡績セメント、金属などの近代工業が立地する。また宝石加工や刺しゅうなどの伝統工業でも知られる。インドのラージャスターン地方に至る陸上交通路とインダス川を経由する水上交通との接点として栄え、1843年のイギリスによる征服まで存続した旧シンド王国の首都でもあった。市街は、当時の城砦(じょうさい)を取り囲む旧市街と、その西に広がる新市街とに分かれる。

[応地利明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイデラバード」の意味・わかりやすい解説

ハイデラバード
Hyderābād

インド南東部,アンドラプラデーシュ州の州都。州中西部,ムシ川 (クリシュナ川の支流) 河畔に位置。デカン地方の主要都市で,経済,文化の中心地。 1589年クトゥブ・シャーヒによって建設され,1724年からハイデラバード王国の首都。独立後旧ハイデラバード州の州都,1956年からアンドラプラデーシュ州の州都となった。ムシ川南岸の旧市街には歴代スルタンの建てた宮殿やモスク,城門などが残る。 1591年に建てられた高さ約 55mの4つの塔をもつチャールミナールは,インド=サラセン様式ともいうべき建造物で,旧市街の中心となっている。北岸にはイギリス植民地時代に発展した新市街がある。道路,鉄道の要地で,特に穀類,綿花の集散が盛ん。紡績,綿織物,精米をはじめ,ガラス,たばこ,日用品などの軽工業が行われ,近年は電機,セメントなどの重工業も発達している。オスマニア大学,農業研究所,地域開発研究所などがある。人口 291万 4464 (1991) 。

ハイデラバード
Hyderābād

パキスタン南東部,シンド州,ハイデラバード県の県都。インダス川下流東岸に位置する。8世紀頃から繁栄し,15世紀にはシンド州南部の中心都市となった。 1783年からはタールプラー諸侯のもとで独立国の首都となったが,1843年イギリス軍に占領された。パキスタンの一大工業中心地で,繊維,セメント,砂糖,ガラス,石鹸の製造,精油,皮革加工などが行われる。旧市街には城址や古い建物が残り,大バザール (市場) が数ヵ所ある。シンド大学など学術・文化施設も多い。人口 75万 1529 (1981) 。

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