バルデマー1世(英語表記)Valdemar Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「バルデマー1世」の意味・わかりやすい解説

バルデマー[1世]
Valdemar Ⅰ
生没年:1131-82

デンマーク王。在位1157-82年。バルデマール1世ともいう。父クヌット殺害直後に出生,有力豪族のもとで養育された。1147年スリースウィー公となり,さらに57年対立するスベン3世を破り,1131年に始まる内戦を終わらせた。対外的にはウェンド人攻撃を積極的に行う一方,国内政策では大司教アブサロンら有力者の協力を得て,教会との提携王権伸張に努力した。父クヌットの列聖と息子クヌット(後の6世。在位1182-1202)の父に続く戴冠はバルデマーの世襲王権強化に役立った。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のバルデマー1世の言及

【アテナ】より

…これを見た神々は後者の方が住民に有益な贈物と判定し,アテナに軍配をあげたので,以後この町は彼女の庇護下におかれ,その名もアテナイと呼ばれるようになったと伝えられる。ギリシア各地のアテナ神殿のうちでも最も名高いのはアテナイのアクロポリス上のパルテノン〈処女神宮〉で,ここに名匠フェイディアス作の女神の金象牙像(模作が現存)が安置され,プロピュライア(アクロポリスの入口をなす前殿)には同じ作者のアテナ・プロマコス(〈護戦者〉の意)の巨像がそびえていた。また市民が彼女の祭儀として盛大に挙行したパンアテナイア祭の行列が同神殿のフリーズに浮彫にされ,いまも往時をしのばせている(一部は原位置,他はアクロポリス美術館および大英博物館所蔵)。…

【グリーク・リバイバル】より

…スチュアートJ.StuartとレベットN.Revettが現地調査にもとづいて1762年に出版した《アテネの古代遺物》が,この機運の出発点となった。この頃からギリシアを訪れる芸術家や知識人が相次ぎ,エルギン卿はアテネのパルテノン神殿の大理石彫刻をイギリスに持ち帰る(エルギン・マーブルズ)。それが1816年に政府に購入され,ギリシア芸術再発見の機運は頂点に達した。…

【比例】より

… 19世紀の建築理論家ビオレ・ル・デュクは,比例よりも尺度の重要性を説き,ある尺度に基づく基準格子(二等辺三角形)の使用を推奨している。一方,19世紀から20世紀初めにかけては,純粋な視覚上の問題として比例に関心が寄せられ,パルテノンなどの建築の美を,その比例やいわゆる視覚矯正などから解き明かそうとする試みが盛んとなり,その結果を制作にも反映させようとする動きがみられた。また近代の工業化は,尺度に対する新しい要求(モデュラー・コーディネーション)を提起しており,その手段としての〈モデュール〉設定が望まれるようになった。…

【フェイディアス】より

…アテナイ出身でカルミデスの子。アテナイのアクロポリスに立つパルテノンの本尊アテナ・パルテノスおよびオリュンピアのゼウス神殿の本尊ゼウス像の作者として,すでに古代において絶大な名声を博していた。両像とも高さ12mを超える黄金象牙像で,原作は失われているが,後代の大理石模刻像,あるいは貨幣,彫石gem,絵画に写された小像などから,その本来の姿をある程度復元することができる。…

※「バルデマー1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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