改訂新版 世界大百科事典 「バンティーゲム」の意味・わかりやすい解説
バン・ティーゲム
Paul Van Tieghem
生没年:1871-1948
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…
[フランス実証学派の発展]
ついで20世紀に入ると,比較文学は引き続きフランスを中心に急速に発展した。その軸となったのは主としてバルダンスペルジェFernand Baldensperger(1871‐1958),アザールPaul Hazard(1878‐1944),バン・ティーゲムPaul van Tieghem(1871‐1948)の3人の大家で,それぞれ,バルダンスペルジェは《フランスにおけるゲーテ》(1904)で作家が外国においてどのように受け取られていったかを調べる受容の研究を,アザールは《ヨーロッパ精神の危機》(1935)で諸芸術,学問,ジャーナリズムなど文化領域全般にわたり一時代の国際交流の諸相を調べる比較文化的研究を,バン・ティーゲムは《前ロマン主義》(1924‐30)で特定の芸術思潮の国際的発展の歴史をたどる研究を,というようにめざましい研究分野の開拓に尽くした。その段階で現在までの比較文学研究の基本的な枠組み,方法論がほぼ固まったといえるが,きわめて多岐,広範囲にわたる研究領域を統括し,学問としての一貫性,客観性を確保するために,これらフランス派比較文学流派はひとつの基本原則を打ち出した。…
…
[フランス実証学派の発展]
ついで20世紀に入ると,比較文学は引き続きフランスを中心に急速に発展した。その軸となったのは主としてバルダンスペルジェFernand Baldensperger(1871‐1958),アザールPaul Hazard(1878‐1944),バン・ティーゲムPaul van Tieghem(1871‐1948)の3人の大家で,それぞれ,バルダンスペルジェは《フランスにおけるゲーテ》(1904)で作家が外国においてどのように受け取られていったかを調べる受容の研究を,アザールは《ヨーロッパ精神の危機》(1935)で諸芸術,学問,ジャーナリズムなど文化領域全般にわたり一時代の国際交流の諸相を調べる比較文化的研究を,バン・ティーゲムは《前ロマン主義》(1924‐30)で特定の芸術思潮の国際的発展の歴史をたどる研究を,というようにめざましい研究分野の開拓に尽くした。その段階で現在までの比較文学研究の基本的な枠組み,方法論がほぼ固まったといえるが,きわめて多岐,広範囲にわたる研究領域を統括し,学問としての一貫性,客観性を確保するために,これらフランス派比較文学流派はひとつの基本原則を打ち出した。…
※「バンティーゲム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新