パフレヴィー朝(読み)パフレヴィーちょう(その他表記)Pahlevī

旺文社世界史事典 三訂版 「パフレヴィー朝」の解説

パフレヴィー朝
パフレヴィーちょう
Pahlevī

カージャール朝に代わって1925年に成立し,79年のイスラーム革命までイラン王国を統治した王朝
レザー=ハーンによって創設。1935年,国号を正式にイランと定めた。その後石油国有化問題からモサデグ政権を倒し,1960年代は白色革命と呼ばれる上からの近代化が行われた。しかし,1979年,ホメイニ率いるイスラーム革命により崩壊した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む