パフレヴィー朝(読み)パフレヴィーちょう(その他表記)Pahlevī

旺文社世界史事典 三訂版 「パフレヴィー朝」の解説

パフレヴィー朝
パフレヴィーちょう
Pahlevī

カージャール朝に代わって1925年に成立し,79年のイスラーム革命までイラン王国を統治した王朝
レザー=ハーンによって創設。1935年,国号を正式にイランと定めた。その後石油国有化問題からモサデグ政権を倒し,1960年代は白色革命と呼ばれる上からの近代化が行われた。しかし,1979年,ホメイニ率いるイスラーム革命により崩壊した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む