映画監督。本名小亀貞之助。明治29年1月1日、三重県生まれ。母の影響による芝居好きが高じて、18歳で出奔、新派劇団の女方(おやま)を転々とし、1917年(大正6)日活向島(むこうじま)撮影所に入社。立(たて)女方として田中栄三監督の『生ける屍(しかばね)』(1918)のサーシャ役などに出演。1923年マキノ映画で監督に転じた。サイレント時代の代表作に、川端康成(やすなり)らと新感覚派映画聯盟(れんめい)を結成してつくった無字幕の現代劇『狂った一頁(ページ)』(1926)と、衣笠映画聯盟での野心的時代劇『十字路』(1928)がある。後者を携えてヨーロッパに外遊、日本映画の海外評価に道を開いた(なおこの2本は1975年に音楽を付して再公開された)。帰国後、松竹でトーキー初の『忠臣蔵』(1932)、林長二郎(長谷川(はせがわ)一夫)と組んでの『雪之丞変化(ゆきのじょうへんげ)』三部作(1935~1936)、『大坂夏の陣』(1937)、東宝に移って『蛇姫様』(1940)、『川中島合戦』(1941)などの時代劇の大作に手腕を振るい、第二次世界大戦後は風刺喜劇『或(あ)る夜の殿様』(1946)、松井須磨子(すまこ)の愛と死を描く『女優』(1947)、大映に移ってからは、同社の第1回カラー作品でカンヌ国際映画祭グランプリなどを受けた『地獄門』(1953)をはじめ多くの作品を手がけて、1966年に引退。昭和57年2月26日没。
[千葉伸夫]
妹の死(1920)
噫(ああ)小西巡査(1922)
火華(1922)
ある新聞記者の手記(1922)
不知火(しらぬい)(1923)
二羽の小鳥(1923)
彼の山越えて(1923)
人生を視つめて(1923)
燕(つばめ)の歌(1923)
金色夜叉(こんじきやしゃ) 宮の巻(1923)
魔の池(1923)
凋落(ちょうらく)の彼方へ(1923)
金色夜叉 寛一の巻(1923)
妻の秘密(1924)
彼女の運命 前後篇(1924)
恋(1924)
桐の雨(1924)
寂しき村(1924)
花咲爺(1924)
鬼神 由利刑事(1924)
狂恋の舞踏(1924)
嵐の精霊(1924)
恋とはなりぬ(1924)
足(1924)
盗(1924)
関の夫婦松(1924)
邪宗門の女(1925)
恋と武士(1925)
心中宵待草(1925)
月形半平太(1925)
弥陀ケ原の殺陣(1925)
日輪(1925)
エキストラガール(1925)
天一坊と伊賀亮(1926)
狂った一頁(1926)
照る日くもる日 第一篇・第二篇(1926)
話(1926)
麒麟児(きりんじ)(1926)
稲妻双紙(1927)
お嬢吉三(1927)
鬼あざみ(1927)
勤王時代(1927)
女夫星(1927)
御用船(1927)
火食鳥(1927)
暁の勇士(1927)
道中双六(すごろく) 駕籠(かご)(1927)
月下の狂刃(1927)
弁天小僧(1928)
京洛秘帖(1928)
海国記(1928)
道中双六 船(1928)
長恨夜叉(1928)
十字路(1928)
女性の輝き(1930)
黎明以前(1931)
唐人お吉(1931)
鼠小僧次郎吉(1932)
生き残った新選組(1932)
忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻・後篇 江戸の巻(1932)
天一坊と伊賀亮(いがのすけ)(1933)
二つ燈籠(1933)
鯉名(こいな)の銀平(1933)
沓掛(くつかけ)時次郎(1934)
冬木心中(1934)
一本刀土俵入り(1934)
殴られた河内山(1934)
くらやみの丑松(うしまつ)(1935)
雪之丞変化 第一篇・第二篇(1935)
雪之丞変化 解決篇(1936)
大阪夏の陣(1937)
人肌観音 第一篇(1937)
黒田誠忠録(1938)
月形半平太[応援監督](1939)
蛇姫様(1940)
続 蛇姫様(1940)
川中島合戦(1941)
進め独立旗(1943)
間諜(かんちょう)海の薔薇(ばら)(1945)
或る夜の殿様(1946)
四つの恋の物語~第四話「恋のサーカス」(1947)
女優(1947)
小判鮫 第一部 怒濤(どとう)篇(1948)
小判鮫 第二部 愛憎篇(1949)
甲賀屋敷(1949)
殺人者の顔(1950)
紅蝙蝠(べにこうもり)(1950)
月の渡り鳥(1951)
名月走馬燈(1951)
修羅城秘聞 双龍の巻(1952)
続修羅城秘聞 飛龍の巻(1952)
大仏開眼(1952)
地獄門(1953)
雪の夜の決闘(1954)
花の長脇差(ながどす)(1954)
鉄火奉行(1954)
川のある下町の話(1955)
薔薇はいくたびか(1955)
婦系図 湯島の白梅(1955)
新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956)
火花(1956)
月形半平太 花の巻・嵐の巻(1956)
源氏物語 浮舟(1957)
鳴門秘帖(1957)
春高樓(はるこうろう)の花の宴(1958)
大阪の女(1958)
白鷺(しらさぎ)(1958)
情炎(1959)
かげろう絵図(1959)
歌行燈(うたあんどん)(1960)
みだれ髪(1961)
お琴と佐助(1961)
嘘~第三話「3女体」[増村保造、吉村公三郎とのオムニバス](1963)
妖僧(1963)
小さい逃亡者(1966)
映画監督。三重県生れ。本名小亀貞之助。日本映画の草分け監督の一人であり,日本最初のアバンギャルド映画《狂った一頁》(1926)の監督であり,イーストマン・カラーによる日本最初の長編劇映画《地獄門》(1953)で,カンヌ映画祭のグラン・プリ受賞監督でもある。また美男スター・長谷川一夫を育てた監督としても知られる。新派劇団の女形から映画界に入り,《妹の死》(1920)でヒロインの妹の役を演じながら演出に手をそめ,女形から女優に移行しつつあった日本映画の流れをいち早く察知して,《妹の死》の再映画化である《二羽の小鳥》(1923)から監督専門になる。25年,《日輪》の映画化(検閲で《女性の輝き》と改題)を機に原作者の横光利一と知り合い,新感覚派の作家たちと組んで,表現主義風な映像表現のテクニックを駆使して,無字幕の芸術的映画(新感覚派映画と呼ばれた)《狂った一頁》を独立プロ(衣笠映画連盟)でつくった。同種の実験精神は,チャンバラ一辺倒の時代劇に抵抗して〈時代劇から剣を奪った〉異色の時代劇《十字路》(1928)や,日本映画の最初のトーキー大作《忠臣蔵》前後編(1932)における〈ソビエト映画流の音のモンタージュ〉(赤穂城明渡しのシーンにおける鐘の音の対位法的な使い方など)にも見られる。27年,歌舞伎の女形出身の林長二郎(のちの長谷川一夫)を松竹からあずかった衣笠映画連盟(《狂った一頁》の赤字を補うために松竹時代劇の請負製作をしていた)は,〈艶のある〉軟派時代劇,情緒劇を世に送り,女性観客に圧倒的人気を得た。衣笠映画連盟は28年に解散するが,サイレント時代の《お嬢吉三》(1927)から,《鯉名の銀平》(1933),《雪之丞変化》三部作(1935-36)を経て,《蛇姫様》正続編(1940),《源氏物語・浮舟》《鳴門秘帖》(ともに1957)等々に至るまで,衣笠,長谷川コンビの作品は35本に及ぶ。また,松井須磨子をモデルにし,溝口健二監督作品(《女優須磨子の恋》1947)と競作になった《女優》(1947)から,山本富士子主演の〈泉鏡花物〉(《湯島の白梅》1955,《歌行灯》1960,等々)に至る〈女性映画〉の監督でもある。夫人は《鬼あざみ》でデビューし,林長二郎と名コンビを組んだ女優の千早晶子(1936年結婚)。片岡千恵蔵主演《初祝鼠小僧》(1935)などの監督衣笠十四三は4歳下の弟。
執筆者:広岡 勉
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大正・昭和期の映画監督
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…しかし,各国の映画界に直接・間接に与えた影響は大きく,オランダの記録映画作家ヨリス・イベンス,ソ連のキノ・プラウダと呼ばれる記録映画の作家ジガ・ベルトフ,イギリスの実験アニメ作家レン・ライ,アメリカのロバート・フローレイ,彼と組んだ名カメラマン,グレッグ・トーランド,といったアバンギャルド映画作家がこの時期に次々と活動を開始した。日本でも衣笠貞之助が,川端康成を中心とした新感覚派のグループのシナリオによって《狂った一頁》(1926)を作り,その手法(フラッシュ・バック,二重露出等々)に飯島正は,ガンスやボルコフの作品との近似を指摘している。
[アバンギャルド映画のその後]
1930年にパトロンとして知られたド・ノアイユ子爵の援助で作られたコクトー《詩人の血》とブニュエル《黄金時代》を最後の頂点として,アバンギャルド映画はトーキーの到来とともに消滅する。…
…たちまち深き夜の静寂破る剣戟の響き……〉という活弁の名調子を生んだ志波西果監督《尊王》(1926)などをつくるとともに,《稚児の剣法》(1927)で林長二郎(長谷川一夫)を一大宣伝作戦のもとに新スターとして売り出し,それまでの荒々しい立回りとは違ったやさ型の剣と美貌によって女性の人気を集め,時代劇の新生面を開いた。林長二郎と多くコンビを組んだ監督は衣笠貞之助で,《お嬢吉三》《鬼薊(おにあざみ)》《鯉名の銀平》《沓掛時次郎》《雪之丞変化》などにおいて林長二郎を育て,その間,立回りのない実験的な時代劇《十字路》(1928)をつくった。
[反逆の時代劇]
日活は時代劇革新の波にもっとも遅れていたが,尾上松之助の1000本記念作品《荒木又右衛門》や《忠臣蔵》では,池田富保監督が新しい様式に挑んだ。…
…この間,天活(天然色活動写真),国活(国際活映),帝国キネマ,松竹など,次々誕生する新会社も,こぞって,忠臣蔵映画をつくった。 初のトーキー〈忠臣蔵〉は,32年の松竹作品《忠臣蔵》で,衣笠貞之助監督,阪東妻三郎の大石内蔵助,林長二郎(のち長谷川一夫)の浅野内匠頭などのオールスター・キャストである。34年には日活が,伊藤大輔監督,大河内伝次郎の大石内蔵助,片岡千恵蔵の浅野内匠頭で,トーキー《忠臣蔵》をつくった。…
…その〈水もしたたる美貌〉を買われて,1927年,18歳で松竹下加茂撮影所に招かれ,女形から美男剣士の道へと進んだ。師匠の鴈治郎から林長二郎の名をはなむけにもらい,主として衣笠貞之助監督と組んで(《お嬢吉三》《鬼あざみ》(ともに1927)等々から代表作の1本となった松竹創立以来の大ヒット作《雪之丞変化》三部作(1935‐36)などに至るまで),松竹時代劇の人気スターとなった。32年には松竹蒲田撮影所で初の現代劇《金色夜叉》にも貫一の役で出演している(田中絹代がお宮を演じた)。…
…この年には片岡鉄兵原作,阿部豊監督《女性讃》,ロシアの女流作家エリーザ・オルゼシェンコ作《寡婦マルタ》を翻案した田坂具隆監督《この母を見よ》,村田実監督《ミスター・ニッポン》,内田吐夢監督《ミス・ニッポン》,農民一揆を描いた小石栄一監督《挑戦》,ラファエル・サバティニの小説《スカラムーシュ》を翻案した辻吉朗監督《維新暗流史》等々がつくられて話題を呼んだが,これらの〈危険思想〉をはらむとされた〈傾向映画〉に対して,当局は検閲制度というかたちで圧迫を加え,多くの〈傾向映画〉が〈内務省警保局活動写真フィルム検閲係〉の干渉を受け,すくなからぬ削除や改訂を強要され,また,撮影不能に追い込まれる脚本もあった。しかし,〈傾向映画〉はそもそも企業映画会社の撮影所のなかの現象で,会社の同意を前提にしてはじめて存在しえたものであり,左翼思想が流行した時代の流れに迎合便乗した企業会社が資本家的な打算から金もうけのためにつくったものであったから,会社が当局の政治的圧力を甘受するとともにたちまち退潮のきざしを見せ,翌31年には,時流に乗ることを拒んでいた松竹の唯一の〈傾向映画〉といわれる細田民樹原作,島津保次郎監督《生活線ABC》,そして由井正雪事件の後日譚として失業浪人のグループを描き,エイゼンシテインの《全線――古きものと新しきもの》(1929)のモンタージュを活用したものの,〈遅刻した傾向映画〉などと評された衣笠貞之助監督《黎明以前》などが,〈傾向映画〉の最後を飾る作品になった。 その後の日本映画は,〈小市民映画〉とか〈心境物〉などと呼ばれた一種の逃避の笑いに移行していくことになる。…
…1935年から36年にかけて製作された松竹(京都)の時代劇映画の大作。衣笠貞之助監督作品。原作は三上於菟吉(おときち)の同名新聞連載小説(1934‐35)で,父母の仇(あだ)を討つために武芸百般にも通じている歌舞伎の名女形雪之丞を中心にして展開される,勧善懲悪的な復讐綺談(きだん)である。…
※「衣笠貞之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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