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白色革命 はくしょくかくめい Inqilāb-i Sefīd

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白色革命
はくしょくかくめい
Inqilāb-i Sefīd

「国王と国民の革命」 Inqilāb-i Shāh o Millatともいう。 1963年国民投票によって承認されたイランの国王の側からの改革。 1950年代イランは政治的に不安定であったが,ムハンマド・レザー・シャーは 60年代初めに国王中心型の権力確立を目指して,61~63年に議会を解散させみずからの大権で改革を準備した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内の白色革命の言及

【イラン】より

…それはイランをめぐる英ソの勢力均衡を巧みに利用したものであった。 第2次大戦後,モハンマド・レザー・パフラビーは,イランをめぐる冷戦体制のもとで,アメリカとの結びつきを強め,イランの近代国家への脱皮が主権国家への道であることを旗印に,1963年以降白色革命とよばれる上からの強引な〈近代化〉政策を推進する。70年代以降は,増大する石油収入に自信を深め,国王主導型路線を邁進し,これを保証するサバクSAVAKをはじめとする膨大な抑圧機構をつくりあげる。…

【パフラビー朝】より

…57年治安機構(SAVAK)を設立,58年パフラビー財団を創設して社会事業も始めた。60年ファラハ王妃との間に皇太子が誕生,63年白色革命が国民投票で承認された。しかし70年代後半には,石油ブームが特権層のみを潤す形となり,国民各層に広範な経済的不満が広がり,78年これらは反国王デモに結集され,ついにイラン革命で国王は79年1月国外に脱出。…

【モハンマド・レザー・パフラビー】より

…こののち,秘密警察(SAVAK)を設けて反国王運動を弾圧した。62年,農地改革令を発し,63年以降〈白色革命〉を推進して,国王独裁体制を完成した。しかし,70年代後半から経済政策が破綻し,国王独裁体制に反対する広範な勢力を結集したイラン革命が起こると,79年1月イランを逃れ,80年エジプトで病死した。…

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