日本大百科全書(ニッポニカ) 「レザー・シャー」の意味・わかりやすい解説
レザー・シャー
れざーしゃー
Reā Shāh
(1878―1944)
イランのパフラビー朝の初代皇帝(在位1925~1941)。イラン北部のアルボルズ山系中の僻村(へきそん)アラシトに軍人の子として生まれる。十代でカージャール朝下唯一の近代的軍隊であったコサック部隊に入り頭角を現す。このころはレザー・ハーンReā Khānと称した。イギリスがソビエト新政権を牽制(けんせい)し、イランにおける権益の保全を目的に策した1921年のクーデターを、麾下(きか)のコサック部隊を率いて遂行。のち、国軍の総司令官に就任する一方、歴代内閣の戦争相を兼任し政府の実権を掌握した。1925年末には自らシャー(皇帝)に即位し、強力な軍事独裁体制を背景に、トルコのケマル・アタチュルクに倣った西欧志向型の強引な「近代化」を推進。その結果、多くの社会的矛盾を引き起こした。外交面ではナチス・ドイツに接近、第二次世界大戦に際し侵攻したイギリス・ソ連両軍の圧力の下に1941年退位し、南アフリカのヨハネスバーグで死去した。
[八尾師誠]