ペルセポリス(読み)ぺるせぽりす(英語表記)Persepolis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス
Persepolis

イラン南西部シーラーズの北東約 70kmにあったアケメネス朝ペルシアの都市。前 518年ダレイオス1世が建設に着工し,キュロス2世が埋葬されているパサルガダエに代えて,アケメネス朝ペルシアの首都とした。以来数代にわたり国王によって造営されたが,場所が遠方の山岳地で宮廷としては不便なため,春季にのみ使用され,行政はスーサバビロンエクバタナで行なわれていた。ギリシア人もアレクサンドロス3世 (大王)の遠征までペルセポリスは知らなかった。 1931~34年シカゴ大学オリエント研究所の E.ヘルツフェルト,1935~39年 E.シュミットによって遺跡の本格的な発掘が行なわれた。建物全体が石の大テラスの上に建設され,宮殿,アパダーナ (謁見の間) ,ハレム,宝庫,百柱殿など壮大な規模をもつ。エジプトバビロニアイオニアなどの建築様式も取り入れられ,ペルシア帝国の首都たるにふさわしい規模を有していたことがうかがわれる。前 330年アレクサンドロス3世によって宮殿は焼かれたが,町はその後もしばらく繁栄した。前 316年にはマケドニア帝国の州都となったが,セレウコス朝時代には衰退し,その後廃墟となった。獣頭の大円柱,大階段,壁面浮彫など往時を偲ばせるものがよく保存され,近郊ナクシェ・ロスタムの岩窟にアケメネス朝歴代の王の墓がある。 1979年世界遺産の文化遺産登録

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス
ぺるせぽりす
Persepolis

イラン南西部、シーラーズ市の北東約70キロメートルにあるクーフ・アッラフマト山麓(さんろく)に営まれた古代ペルシア帝国の都市。アケメネス朝ペルシアのダリウス1世が帝国の新しい首都として、紀元前520年に建設を始め、その後歴代の王が増改築を継続した。行政府としての政治の中心はスーサに置かれていたので、ペルセポリスは王の儀式や祝祭などを行う神聖な役割をもつ都であった。建造物は山の斜面に造成された広大なテラス上に配置されている。代表的遺構はダリウスの宮殿、100本の列柱があったところから百柱殿とよばれる大広間、柱頭に獅子(しし)や牡牛(ぼぎゅう)を彫った柱がある謁見殿、クセルクセスの宮殿、宝物庫、ハレムなどである。謁見殿の階段に残る朝貢する被征服民族の浮彫りも名高い。前330年マケドニアのアレクサンドロス大王によって帝国は滅ぼされ、ペルセポリスも廃都と化した。1931年からシカゴ大学の発掘調査が行われた。1979年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[吉村作治]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android