日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビキニ被爆事件」の意味・わかりやすい解説
ビキニ被爆事件
びきにひばくじけん
1954年3月1日、アメリカがミクロネシア、マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行った際の被爆事件。この実験によって日本のマグロ漁船第五福竜丸乗組員が被爆したことはよく知られているが、それ以外に、実験場に近い島々の住民にも被害が出ていた。
ミクロネシアは第二次世界大戦後アメリカの信託統治地域として戦略上、重要な軍事基地として位置づけられ、それまでに12回の原爆実験が行われていた。1954年3月1日の水爆実験は爆発力が広島型原爆の750~1150倍といわれ史上最大規模であった。危険地域外とされ事前の移動の対象とならなかった爆心から190キロメートル地点の諸島の住民は、同月3日以降になって救出されたものの、90%がβ(ベータ)線火傷を受けていた。彼らは治療よりもアメリカ原子力委員会による医学的・遺伝学的影響の調査の対象とされたといわれ、帰島したのは3年4か月後であった。
この事件を契機に世界的に水爆反対の声が高まり、赤十字社連盟理事会、ユネスコ執行委員会などが実験反対の決議を行い、日本でも原水爆禁止の全国民的運動が発展した。翌1955年(昭和30)8月には日本で原水爆禁止第1回世界大会が開催されたが、これにミクロネシア代表が参加するようになるのは72年以降のことである。
[荒 敬]
『岩垂弘著『核兵器廃絶のうねり』(1982・連合出版)』▽『前田哲男著『隠された被ばく――マーシャル群島住民の23年』(1978・原水爆禁止日本国民会議)』