軍事基地(読み)グンジキチ(その他表記)military base

翻訳|military base

デジタル大辞泉 「軍事基地」の意味・読み・例文・類語

ぐんじ‐きち【軍事基地】

戦略上の拠点となる重要な軍事施設のある地域。

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精選版 日本国語大辞典 「軍事基地」の意味・読み・例文・類語

ぐんじ‐きち【軍事基地】

  1. 〘 名詞 〙 有事、戦略・戦術上の拠点となる軍事施設・区域の総称。国内基地と在外基地があり、その性格から出撃基地、兵站(へいたん)・補給基地、中継基地、慰安・訓練基地などに分けられる。
    1. [初出の実例]「どの国にしても、どこにも軍事基地なぞ必要ではないことだ、と固く私は信じている」(出典:第4ブラリひょうたん(1954)〈高田保〉ブラリひょうたん・必要なもの)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍事基地」の意味・わかりやすい解説

軍事基地
ぐんじきち
military base

軍隊が戦闘作戦行動を展開するために、必要とする諸施設・区域の総称。

[松尾高志]

総説

軍事基地ということばは軍隊が使用する施設・区域を一般的には示すが、その概念はかならずしも一義的に明確ではなく、さまざまな範囲に使用されている。

 もっとも広い範囲での規定は、軍隊が使用するすべての施設・区域を軍事基地という場合である。「軍」という語が禁句である防衛省の規定はこれに近い。『防衛白書』(1983年版)によれば、自衛隊と米軍の使用するすべての施設・区域を「防衛施設」と呼称し、それは「防衛力発揮の基盤であり、平時においては教育訓練及び定められた任務を行う拠点となり、有事には防衛活動の拠点となるもの」と説明している。

 より狭い範囲での軍事基地の規定としては、「(1)そこから作戦が企図され、あるいは作戦が支援される場所。(2)兵站(へいたん)あるいはその他の支援を提供する施設の存する区域あるいは場所」との、米統合参謀本部の『軍事用語辞典』Department of Defense Dictionary of Military and Associated Terms(1979)の「基地」baseの規定をあげることができる。

 狭義の規定では、軍隊の戦闘行動に直接使用される施設・区域のみを軍事基地とするが、この場合の基地は「作戦基地」operation baseに限られる。

 しかし、現代の戦争の様相――すなわち、〔1〕それが単に軍事力のみによらず国家総力戦となったこと、〔2〕ミサイル・航空機などの兵器の発達により、前線と後方の区別が相対的なものとなったこと、〔3〕とくにミサイルと兵器のエレクトロニクス化により、平時と戦時が明確に区別されることのない「有事即応」の態勢を軍隊が保持するようになったことなど――の特質から、軍事基地の概念はより広いものとなってきているといえよう。軍事基地の実体的な形態は軍事活動の多様性に対応して多様であり、飛行場(航空基地)、港湾施設、弾薬庫、燃料庫、倉庫、通信施設、無線傍受施設、演習・訓練場、兵舎・住宅施設、事務所、医療施設、修理・整備施設などからなる。なお、その機能の特性から、空母(航空母艦)を「海上機動航空基地」、戦略核ミサイル搭載原子力潜水艦を「潜る基地」あるいは「水中基地」と称することがある。

 軍事基地は機能あるいは位置により、次のように区分することができる。兵力を前方展開しておくための前進基地、戦闘作戦行動の直接の拠点となる作戦基地、作戦行動を支援するための補給・兵站基地、兵力あるいは補給品を前方に展開する際に途中で使用する中継基地、通常あるいは平時には使用していないが必要が生じあるいは有事に使用するための予備基地などである。また、直接戦闘に関与する前線基地・第一線基地と、間接的に関与する後方基地とに区分する場合がある。

 軍事基地を地理的にどこにどのように配置するかは、その国家の軍事戦略と、それに基づく兵力配置の構想に基づいて決定されるが、単に軍事的合理性のみによって設定されるわけではなく、経済的あるいは社会的制約を受けることがある。

[松尾高志]

在日米軍基地

日米安全保障条約とそれに基づく日米地位協定(ともに1960年〈昭和35〉発効)によって、日本政府が米軍に提供している「施設及び区域」の総称。

 基地の使用目的は、安保条約第6条によって「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全に寄与するため」とされている。ここでの「極東」がどの範囲であるのかが、これまで国会での主要な争点の一つとなってきた。政府は当初、「大体においてフィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域(韓国を含む)」としていたが、1980年代に入ると、「特定の地理的範囲を示すものではない」との見解をとるようになった。いずれにしても、この目的のために米軍が出動する範囲は「その攻撃または脅威の性質いかんにかかり、かならずしも極東に限られない」というのが政府見解である。

 在日米軍基地は、歴史的には、まず太平洋戦争での対日本本土攻撃の拠点(沖縄)、そして占領政策の遂行のための連合国軍(米軍が主体であった)の駐屯地として使用を開始された。この時期は基地の設置はGHQ(連合軍最高司令部)の命令による接収により行われた。その後、米ソの冷戦の激化に伴い、在日米軍基地はアメリカの新戦略に基づく対ソ封じ込めの世界的な基地網の一環として位置づけられた。この戦略に基づき基地の新設・増強が行われ、在日米軍基地はソ連および中国に対する監視・攻撃拠点としての再編成が着手された。

 1950年(昭和25)6月に朝鮮戦争が開始されると、在日米軍基地(沖縄を含む)は、この戦争遂行のための米軍の作戦行動の主要拠点となった。具体的には、出撃基地、兵站・補給基地、中継基地、慰安・訓練基地などあらゆる機能を果たすこととなった。また日本の経済力、国内輸送機関が戦争目的のために動員され、全土が「基地化」され、戦争に反対する言論・行動は禁じられ、処罰の対象とされた。

 1952年4月、対日講和条約の調印により「独立国家」となった日本に、従来どおり基地を確保するため、アメリカは日本政府との間で日米安全保障条約とそれに基づく日米行政協定を締結した(ともに1952年4月発効)。この取決めによって、アメリカは占領下で確保した基地を引き続き使用する権利を獲得したほか、新たな「大量報復戦略」の展開に基づく対ソ・対中基地としての在日米軍基地の再編・強化を推し進めた。他方、沖縄は講和条約によって日本本土と切り離され、引き続き米軍の直接の軍政下に置かれ、「太平洋のキー・ストーン(要石(かなめいし))」としての役割を担うこととなった。

 1960年6月には日米安全保障条約の改定、日米行政協定の日米地位協定への切り換えが行われたが、米軍の諸特権は維持された。ただ、米軍の基地使用にあたっては、新たに「条約第6条の実施に関する交換公文」が取り交わされ、(1)米軍の「配置における重要な変更」、(2)「装備における重要な変更」、(3)日本本土から行われる米軍の「戦闘作戦行動」の3項目についてはアメリカ側から「事前協議」の「主題」とすることになった。この3項目が具体的に何を規定しているのかは「藤山・マッカーサー口頭了解」(不公表)で取り決めている。(3)の「戦闘作戦行動」の範囲は国会での質疑を通じて、日本政府はその内容をきわめて狭く絞り込んで、「直接戦闘行動」(出撃発進基地としての使用)に限定し、それ以外の兵站・補給活動、「移動」は米軍に自由使用を認めるとの立場を示している。((2)の「核持ち込み」については「非核三原則」の項参照)。

 1960年代後半から70年代初頭にかけては、在日米軍基地(沖縄を含む)は、ベトナム戦争のために、兵站・補給の拠点、中継基地、慰安・訓練基地、謀略拠点などとして、最大限に利用された。一アメリカ将軍をして「日本なくしてベトナム戦争なし」といわしむるほど、在日米軍基地の重要性は高いものであった。1972年5月には、日米沖縄協定により沖縄は日本に返還され、在沖縄米軍基地日米安保条約と地位協定の適用を受けることとなり、現在に至っている。

 現在、在日米軍基地は米軍専用のものが91件、面積にして約314平方キロメートルであり、その約75%が沖縄県に集中している。さらに、80年代以降は、「共同訓練」を名目とする米軍の自衛隊基地の一時使用が激増する傾向にあり、現在、その面積は約670平方キロメートルに及んでいる(1997年1月現在)。加えて、米軍には訓練水域および訓練空域が日本各地で提供されており、これらもまた「基地化」されている。

[松尾高志]

米ソの軍事基地

第二次世界大戦後の冷戦と核兵器の発達により、アメリカは対ソ封じ込めの軍事戦略に基づき、ソ連を地理的に包囲する形で全世界的な軍事同盟体制(NATO(ナトー)、CENTO(セントー)、SEATO(シアトー)、ANZUS(アンザス)など)を構成すると同時に、対ソ基地網を建設した。1950年代には、戦略核兵器としての爆撃機が中心であったため、その戦闘行動半径内に対ソ攻撃目標をもつように基地網が構成されたが、核ミサイルの発達により、60年代からは、アメリカ本土を第一線基地とするに至った。また60年代なかばからは、戦略核ミサイル(SLBM)搭載原子力潜水艦の出現により、海洋をも「基地化」するようになった。さらに、アメリカはソ連との軍事対決のみならず、自国の権益擁護のため、「世界の憲兵」として機能しうるよう通常兵力によるグローバルな基地網を維持し続けてきた。

 冷戦終結後、アメリカは1993年の「ボトムアップ・レビュー」で湾岸戦争規模の地域紛争2か所(中東、朝鮮半島を想定)の同時発生に勝利するとの新戦略を採用し、海外展開兵力をヨーロッパ10万人、アジア10万人体制とした。アメリカはこの兵力をヨーロッパ、アジアの基地に配備している。

 他方、ソ連は1960年代なかばまで、ソ連本土のICBM基地と、戦略核ミサイル搭載原子力潜水艦による内線戦略による対米軍事力を構築していたために海外基地はもたなかった。ただ欧州正面ではNATOに対抗してワルシャワ条約機構を結成し、東欧諸国に軍事基地網を構成した。70年代に入ると、アメリカがベトナム戦争で兵力を消耗している間に、軍事力を増強し続けた結果、ソ連海軍は外洋艦隊を保有するに至り、世界各地に「寄港地」を確保し始めた。また79年12月にはアフガニスタンに侵攻し、初めてワルシャワ条約国以外の国に海外基地をもつこととなった。ソ連軍が複数の戦域で同時に戦闘する能力をもつに至ったとはいえ、アメリカのような意味でのグローバルな基地網は地政的特性からも、ソ連は保有していなかった。

 1989年2月、ソ連軍はアフガニスタンからの撤兵を完了した。91年3月31日、ワルシャワ条約機構が解体して、いわゆる冷戦が終結した。これに伴いソ連軍はすべての外国基地から撤兵し、新生ロシアは海外基地をもっていない。

[松尾高志]

『アメリカ防総省報告書『ソ連の軍事力 1985』(1985・時事通信社)』『ソ連国防省編『平和を脅かすもの――アメリカの軍事力1985』第3版(1985・日ソ図書)』『朝雲新聞社編『防衛ハンドブック・平成9年度版』(1997・朝雲新聞社)』『防衛庁編『防衛白書』各年版(財務省印刷局)』

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改訂新版 世界大百科事典 「軍事基地」の意味・わかりやすい解説

軍事基地 (ぐんじきち)

古来,作戦軍とその後方にある策源地との間を連絡するため,その連絡線上に所要の施設を施して,軍需品の補給,人馬の宿泊給養,傷病人馬の後送診療などにあたる考えがあった。特に第1次世界大戦までは,軍の補給能力が戦争の勝敗を決する主要条件と考えられていたので,国内国外を問わず平時から作戦用の軍需品を,ある特定の地区に準備した。イギリスの基地ジブラルタル,ロシアおよび日本がそれぞれ利用した旅順などがその例である。その後,船舶の整備,乗員の休養などの面から,本国から遠く離れた地点に海軍関係の基地が設けられ,一方,空軍の発達から航空基地が重視されるようになった。第2次大戦当時の航空基地は,数ヵ所の飛行場とこれを結合する交通・通信施設,防空・保安(航測,無線標識,照明,着陸設備)施設,兵器・資材の修理,貯蔵施設などの機能を持ったものが考えられた。太平洋戦争中の日本のラバウル,トラックなどがそれである。第2次大戦後は核兵器とミサイルの発達が,軍事基地の性格を微妙に変化させた。核兵器の撃ち合いを想定した場合,軍事基地は戦線後方にある兵站(へいたん)基地ではなく,こちらからも撃ち相手からも撃たれる第一線陣地となる。そのため相手国に対する地理的位置や駐留する軍事力の性質によって,相互の戦略態勢の優劣に大きな影響を与えるようになったのである。ミサイルの配備方法により,奇襲攻撃に弱いことから地上配備のものを軟性基地,これに対して地中から発射可能にしたものを硬性基地,ポラリス型原子力潜水艦等で水中発射可能なものを水中基地と呼ぶことがある。軍事基地は英語ではふつうベースbaseといわれるが,アメリカ軍が使用する類似語としてバラックbarrack,キャンプcamp,フォートfortなどがある。これらはそれぞれ兵舎,一時的な駐留地,堡塁などの原義があり,base(基地,根拠地)と多少ニュアンスがことなる。
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在日米軍基地設置の歴史的背景となったのは,第2次大戦における対日作戦,対日政策である。1945年4~6月の沖縄戦で激戦の末に沖縄が占領されて,日本本土攻略のための根拠地づくりが開始され,その機能が戦後のアジア政策との関連で維持・強化され続けた。とくに沖縄がグアム,フィリピンなどの米軍基地と関連させられ,アメリカの西太平洋地域における勢力圏維持のための要石key stoneとみなされるようになった49年以後は,対日講和後も恒久的に基地とするための政治的方策が検討され,施設も改良された。同時に本土では,横須賀が工業地帯に近接した軍港,貿易港として基地化の候補地となった。50年6月,朝鮮戦争が開始されると米軍は日本が出撃,兵站,補給,慰安,訓練,医療などあらゆる基地機能を果たしうることに着目し,日本全土の全面基地化に法的裏付けを与えるべく,講和条約の関連条約として交渉中の日米安全保障条約および日米行政協定を締結しようとした。日本政府は,独立国相互の条約,協定という形式を整えるべく交渉に当たったが,米軍基地を〈米軍の使用に供する施設および区域〉と呼ぶことにした以外は成果がなかった。すなわち52年4月に発効した日米安保条約と行政協定によって,米軍は陸海空軍の基地を日本中どこでも何ヵ所でも設定・維持することができ,その設定・維持に必要な物資および労務提供の便宜をうけ,その構成員,軍属,家族は治外法権を有し日本に裁判権がなく,かつ日本政府の外国為替管理法に服さず,輸入関税の免除や出入国の自由などの特権を与えられ,占領期の法的状況がほぼ継続されることになった。53年J.F.ダレスが米国務長官になると〈大量報復〉戦略が推進され,その結果日本の基地の拡張・増設がはかられ,プライス勧告による沖縄基地の大拡張をはじめ,立川(砂川),横田,小牧,木更津,新潟の5飛行場の拡張などが図られた。

 朝鮮戦争期からこの基地拡張期にかけて,いわゆる基地問題が各分野にわたって表面化した。多くの場合,基地が耕地の接収により設置・拡張され,かつアジアでの戦争と結びついて利用されたため,土地取上げ反対運動と反戦・平和運動とが重なって基地反対闘争がおこった。1953年,内灘試射場の無期限使用計画に対し地元民,石川県議会,各政党,労働組合,学生,知識人などが反対闘争を展開したのが組織的な基地反対闘争の最初であり,同年浅間山の基地化が阻止され,55年には妙義山接収計画も撤回させるなど,闘争は各地にひろがった。滑走路拡張問題では55年から57年にわたる砂川闘争が戦後最大の米軍基地反対闘争となり,これと関連して59年3月に東京地裁は米軍駐留を憲法9条違反との判決(伊達判決)をくだした(砂川事件)。基地が米兵の訓練や慰安の機能もあわせ持たされたため,その周辺地域が米軍人を相手とする飲食店,売春婦などの密集地となり,地域全体の風紀を悪化させ,それが北富士演習場の例に見られるように基地反対運動の要因となった場合もある。米軍関係者の犯罪も54年から57年にとくに多く,米軍人のみで4000件以上が報告され,ピークの56年には6757件にのぼった。このうちジラード事件,ロングブリー事件は世論の注目をあびた。

 1960年6月,新安保条約および日米地位協定が発効し,在日米軍の出動および配置・装備の重要な変更が事前協議の対象となったが,米軍の諸特権を国民の諸権利より優先させる状況は継続され,72年の沖縄返還協定により沖縄も本土と同等の法的地位に置かれるようになった。本土の米軍兵力は52年末約26万であったものが,60年末には4万6000,67年初には3万6000となったが,兵力の質的強化は進み,核ミサイル配備(沖縄),原子力潜水艦,空母の母港化,B52戦略爆撃機の配備・発進などで騒音・電波被害などが問題となり,核持込みと関連して日本の安全が議論されるようになった。日本のベトナム反戦運動は在日米軍基地の利用に対する反対運動から出発したものである。

 ベトナム戦争後も在日米軍基地には米軍最大規模の燃料・弾薬貯蔵施設が置かれ,1990年代には湾岸戦争に代表される地域紛争への介入のための戦略的根拠地として一層重視されるようになった。この間米軍はアメリカにおける予算難,関係国の基地撤去要求,非核地帯運動などの圧力を受けて在外兵力の削減を進めたが,95年,アメリカ国防省は東アジア・太平洋戦略を公表して日本を世界戦略の拠点と位置づけ,在日米軍(第7艦隊の乗組員を含めて約6万)の兵力の確保,訓練の強化,有事即応体制の維持を明言した。95年9月,沖縄で米兵による少女暴行事件を契機に基地撤去を求める大規模な住民運動が起こると,日本政府は海上基地建設や演習場の他地域への移転などにより,運動の沈静化を図る一方,米軍の軍事訓練を確保する対策をとった。97年にはアメリカとの間で〈防衛協力の指針〉(ガイドライン)改定に合意し,米軍の地域紛争戦略に日本側がより積極的に協力するという立場を示した。1976年に始まる〈おもいやり予算〉で日本政府は米軍基地の従業員労務費,滑走路など施設の建設,光熱費・電話料金,地代などを負担し,96年度には6407億円,在日米軍経費の70%を日本が支出した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軍事基地」の意味・わかりやすい解説

軍事基地
ぐんじきち
military base

作戦兵站などの軍事行動の拠点となる施設。広義には工作,通信,情報などに関する軍事施設も含む。自国の領土内に設けるのが通常だが,二国間または多国間の安全保障条約(→安全保障)や基地協定によって国外に置く場合もある。外国に設けられた軍事基地は,一般に広大な土地や海空域を占有し,航空機騒音など公害の原因ともなるため,基地反対運動が行なわれるなど,政治・社会問題となっている。在日アメリカ軍の基地は,日米安全保障条約において「施設及び区域」と称され,同条約6条と日米地位協定2条に基づいてアメリカ軍に提供され,管理権が認められている。

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