第五福竜丸事件
1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁の東約160キロの公海上で、静岡県焼津市のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員23人が、米水爆「ブラボー」の実験による放射性降下物を浴びて被ばく。9月23日に無線長、久保山愛吉さんが死去した。補償交渉は米側が200万ドル(当時7億2千万円)を支払うことで55年に政治決着した。ブラボーの爆発威力は米最大の15メガトンで広島原爆の約千発分に相当。風下のロンゲラップ島などで住民らが被ばくしたほか、周辺海域で被災した日本漁船は延べ約千隻。ビキニ環礁は2010年、世界遺産に登録された。
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第五福竜丸事件
だいごふくりゅうまるじけん
1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロメートルの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津(やいづ)に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉(くぼやまあいきち)が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌1955年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。第五福竜丸は1967年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、1976年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。
[荒 敬]
『第五福竜丸平和協会編『母と子でみる 第五福竜丸』(1985・草土文化)』
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第五福竜丸事件
だいごふくりゅうまるじけん
焼津の漁船『第五福竜丸』がビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験の降灰をかぶった事件。 1954年3月1日,マグロ漁船『第五福竜丸』はビキニ環礁北東約 80カイリで操業中,水平線上南西に閃光があり,数分後に爆音がとどろいた。約3時間ののちには白い灰が落下して甲板をおおった。2~3日後,全乗組員 23人が軽い頭痛を訴え,吐き気を催す者が出て,灰のついた皮膚が赤黒く水ぶくれとなり,頭髪が抜けはじめた。 14日,焼津に帰港後,原爆症と診断された。乗組員の一人,久保山愛吉無線長は9月 23日死去した。日本政府はすでに3月 16日,乗組員から事情を聴取し,『第五福竜丸』がアメリカの発表した禁止区域から 64km離れていたことを知り,国務省に調査を要求した。4月 10日,J.アリソン駐日大使はアメリカ政府の名において遺憾の意を表するとともに補償を行なった。この事件は「死の灰」という言葉を生み,ついに8月6日,原水爆禁止署名運動全国協議会を結成させた。
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「第五福竜丸事件」の意味・わかりやすい解説
第五福竜丸事件【だいごふくりゅうまるじけん】
1954年3月1日,南太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験のため,200km離れた水域で操業中の焼津港所属の漁船第五福竜丸が放射性物質を含む灰(死の灰)をかぶり,全乗組員が放射能症にかかって9月久保山愛吉が死亡した事件。原水爆禁止運動発展の契機となった。同船は東京湾の夢の島に保存されている。
→関連項目猿橋勝子|シャーン|水素爆弾
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第五福竜丸事件
だいごふくりゅうまるじけん
死の灰事件の一つ
1954年3月1日,マーシャル群島ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で,焼津のマグロ漁船第五福竜丸が死の灰を浴び,無線長久保山愛吉が放射能障害で死亡。これを契機に原水爆禁止運動が活発化した。
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第五福竜丸事件
だいごふくりゅうまるじけん
1954年3月1日,アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験のため,日本の漁船第五福竜丸が放射性物質(死の灰)を浴び,死者を出した事件
この事件は,国際的な原水爆禁止運動が展開する契機となった。
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世界大百科事典(旧版)内の第五福竜丸事件の言及
【原水爆禁止運動】より
…1945年8月6日の広島,8月9日の長崎での原爆被爆体験に根ざし,54年3月1日のアメリカの水爆実験による第五福竜丸被災事件をきっかけにして生まれた日本の原水爆禁止運動。運動の規模,持続などあらゆる意味で今世紀の世界で最大の平和運動である。 原爆被爆後,1949年に平和擁護広島大会が開かれるなどその萌芽はあったが,国民運動として全国的な高まりを見せるのは第五福竜丸被災事件([ビキニ水爆実験])以後である。…
【ビキニ水爆実験】より
…ビキニ島東方75カイリ(約140km)の危険区域外で操業中のマグロ延縄(はえなわ)漁船第五福竜丸は約3時間後から,降灰中を知らずに揚縄作業に従事,全員が致死量に近い放射線をうけ,14日焼津港に帰港した。マグロは放射能汚染のため廃棄処分され,船員23人は入院,検査・治療をうけたが,9月23日無線長久保山愛吉は死亡した(第五福竜丸事件)。その後の日本側の分析により降灰からウラン237が検出され,水爆によることが明らかにされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」