ビッソントーマス・アーサー(その他表記)Bisson Thomas Arther

20世紀日本人名事典 の解説

ビッソン トーマス・アーサー
Bisson Thomas Arther

07のアジア学者 元・GHQ民政局員。



国籍
アメリカ

生年
1900年11月8日

没年
1988年7月7日

出生地
ニューヨーク市

学歴〔年〕
コロンビア大学〔’24年〕卒

経歴
1929年外交政策協会に勤務、機関誌に論文を発表し、アジア問題の専門家として知られるようになる。’33年ルーズベルト政権下で社会主義に接近。’37年オーエン・ラティモアらと中国・延安を訪ね、毛沢東、朱徳らと会見。帰国後、著書「China in Japan」でアジア学者としての地位を固めた。’43〜45年太平洋問題調査会(IPR)勤務。’45年10〜12月米国戦略爆撃調査団の一員として来日、’46年3月〜’47年5月GHQ民政局員として占領改革に従事。’50年マッカーシー旋風のなかで沈黙を強いられる。ほかの著書に「ビッソン日本占領回想記」(邦訳’83年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む