ファテプル・シークリー(読み)ふぁてぷるしーくりー(その他表記)Fatepūr Sīkrī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファテプル・シークリー」の意味・わかりやすい解説

ファテプル・シークリー
ふぁてぷるしーくりー
Fatepūr Sīkrī

インド、ムガル皇帝アクバルの一時期の首都。アクバルは1571年、アグラからその南西36キロメートルのシークリー村(皇子サリーム生誕の地)へ遷都し、74年、グジャラート遠征の勝利を記念してファテプル(「勝利の都市」)の呼称を与えた。しかし、85年、用水不足などの理由により同都を放棄し、ラホールに移った。王宮地域の諸宮殿、役所、造幣所、厩舎(きゅうしゃ)、女子教育所、救貧施設、病院、沐浴(もくよく)場、ハンマーム(蒸し風呂(ぶろ))などや市街地区の大モスクとその巨大な南門、キャラバンサライなどの遺跡の大半は赤砂岩製で、ヒンドゥー様式も加味され、荘重、簡素かつファンタスティックなムードをもつが、白大理石の聖者サリーム・チシュティーの廟(びょう)は優雅で繊細な建物である。1986年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

長島 弘]

『SD編集部編『都市形態の研究――インドにおける文化変化と都市のかたち』(1971・鹿島研究所出版会)』

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