髪や体を洗うこと。とくに神聖なものに接するのに先立って,湯や水を浴びて体を浄めることが行われてきた。宗教儀礼として,身をきよめけがれをはらう方法は,水のほか,火,煙,香料の使用が世界的に広くみられる。日本でも,古代から僧尼に月に2~3度沐浴して経を読むことが定められ(《続日本紀》),さまざまな形でつづけられてきた。
暑熱の国インドでは沐浴は生活上必須のものなので,得られる水量の差による方法のちがいや宗教上の意味づけの差を度外視すれば,毎朝顔を洗い,口をすすぐときに行われる沐浴は,時代,地域,宗教の差をこえて大多数の人々の生活習慣であったといえる。また水の聖なる力,とくに罪・穢(けが)れを洗い流す力の観念と,その端的な利用法である沐浴は,さまざまな宗教の儀礼に取り入れられてきた。インダス文明の遺構には,儀礼に用いたとされる〈沐浴場〉が発見されている。バラモン教の祭式の中には,潔斎のための沐浴(ディークシャーdīkṣā)や,聖別した水で沐浴することによる聖別(アビシェーカabhiṣeka),死の穢れなどをはらうための沐浴(ウダコーパスパルシャナudakopasparśana)などがしばしば現れ,新生児の初湯を誕生儀礼の一環とする例もある。ヒンドゥー教の儀礼の中では,ガンガー(ガンジス)川流域を中心とする巡礼地(ティールタtīrtha)で行われる沐浴(スナーナsnāna)が顕著である。聖地の水がもつ罪・穢れを洗い流す力に対する信仰であり,ガンガーの水は触れるだけであらゆる罪を滅し解脱に導くものとされる。この効力は年に何回か行われる祭りの日にはとくに強くなり,その日に沐浴すれば,本人ばかりか7代の先祖まで浄められるという。またヒンドゥー教徒は,日々の穢れをはらって朝を迎えるための儀礼としての沐浴を,サンディヤーsandhyāと呼ばれる毎朝の儀礼の一部に組み入れている。彼らは起床後ただちに歯を磨き,用便をすませると川あるいは貯水池などに行き,水をすすり,少量を前方にまき,8回頭にかけ,少量地面にまく。そこでマントラを誦しつつ3回水につかり沐浴する。水から上がると頭髪を束ね,《サービトリー》を誦しつつ太陽を崇拝する。さらに水をすすった後,濡れた手で身体の各部に触れ,さらに目を閉じさまざまな瞑想を行う。以上はバラモンにおける典型であるが,この型は既にヒンドゥー教形成期の文献に現れ,近代に至るまで受け継がれてきた。
執筆者:高橋 明
《孟子》に〈悪人と雖も,斎戒沐浴すれば以て上帝を祀(まつ)るべし〉とあり,《無上秘要》など道教経典には沐浴に関する専門の章が設けられていることが多い。また周代の諸侯が天子に朝見するにあたって沐浴の用に供された土地は〈湯沐の邑(ゆう)〉と呼ばれ,漢代の官僚の5日めごとの休暇は〈洗沐〉と呼ばれた。
→禊(みそぎ)
執筆者:吉川 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
一般には水で身体を洗い清めることであるが、宗教的意味で用いられることが多い。沐浴が宗教的儀礼と考えられることの理由は、一つには、水で身体的汚れを洗い清めることと、その人がもっている宗教上の穢(けがれ)を祓除(ふつじょ)することとの同一視である。葬式に参列したあとの沐浴を義務づけたり、日本の神社やイスラム教寺院の前には沐浴場があり、入る前に沐浴しなければ中に入れない場合がある。現在の日本の神社にある手洗場は沐浴場の一種である。ヒンドゥー教徒にとってガンジス川の流れで沐浴することは最大の信仰的行為であり、修験道(しゅげんどう)の滝の水に打たれる修行は、肉体的苦行に耐えることと、山の清浄な水で長時間身体を清めることの二重の意味がある。
二つには、水がもっている移行と融合の象徴的意味による。つまり、身体全体またはその一部を水に触れさせることによって、俗的状態、汚穢(おえ)の状態から、聖なる清浄な状態へ、あるいは、生の状態から死の状態へ、人間的でない状態から人間の状態へ移行させる力ないし媒介としての意味を水がもっていることが多い。その点では火も同様に考えられている。キリスト教における洗礼の水や、産湯(うぶゆ)や湯灌(ゆかん)の水、死の直後に死者の口を湿す死に水、花嫁が実家を出るとき、または婚家に入るときに飲む水、旅立ちのときの水杯(みずさかずき)の水など、いずれも、ある状態から別の状態への移行を順調に行わせうると考えられている。
三つには、川や海や泉など、水と結び付いた場所が神聖な空間とみなされ、沐浴はそのような聖なる場所に身を置くことによって、宗教上の汚穢が取り去られると考えられていることである。したがって、どこで沐浴してもよいというのではなく、沐浴場所が指定されることもある。長崎県壱岐(いき)の漁村では、現在でも海はきわめて神聖な空間と考えられており、葬式の参列者は、冬は膝(ひざ)まで、夏は首まで海水に浸ることが義務づけられている。
[波平恵美子]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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