改訂新版 世界大百科事典 「ファンモーク」の意味・わかりやすい解説
ファン・モーク
Hubertus Johannes van Mook
生没年:1894-1965
オランダ領東インド(現,インドネシア)の行政官。ジャワ中部のスマラン市に生まれ,1918年オランダ領東インド政庁に入り,36年経済局長官となる。第2次日・蘭印会商(1940-41)では交渉の実質的な最高責任者となり,連合国側の立場から日本の高圧的な要求を退けた。41年副総督に就任。日本によるオランダ領東インド占領後,ロンドンの亡命オランダ政府の植民地相に就く。44年ブリズベーンに成立した亡命オランダ領東インド政庁の副総督となる。45年のインドネシア共和国成立後は,その再植民地化を強行するオランダの現地最高責任者として,オランダの宗主権を認める旧貴族・領主層を首班とする傀儡(かいらい)国家を分離・独立させ,これらをもって共和国を包囲・従属させようとする〈インドネシア共和国〉構想を立案,その実現に努めたが成功せず,48年副総督を解任された。
執筆者:鈴木 恒之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報