百科事典マイペディア「傀儡」の解説
傀儡【くぐつ】
→関連項目青墓宿|門付|雑芸|遊女
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
字通「傀」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
… また,散楽は曲芸,幻術,物真似などを含み宮廷の饗宴の余興にも演じられたが,また民間にも流布して,猿楽(さるがく)とよぶ芸能を生んだ。平安中期に著された藤原明衡の《新猿楽記》には,猿楽を専業とする芸人が京の稲荷祭の雑踏の中で滑稽猥雑な寸劇や曲芸,さらには傀儡(くぐつ),田楽(でんがく)などの芸も演じて人気を博したとあるが,傀儡は人形まわしで,当時これを中心に歌舞,幻術,曲技などをもって各地を巡回する芸能集団も別にあった。また田楽は元来田植の祭事に演じられたお囃子で,太鼓,編木(びんざさら)主体の野性的な音楽の魅力が人気をよび,やがて猿楽にも取り入れられ,またこれを主体に演ずる田楽法師と称する専業芸能者が生まれた。…
…そしてこうした女性も特有の被り物(かぶりもの)によって,平民の女性からみずからを区別していた。 遊女,白拍子(しらびようし),傀儡(くぐつ)なども基本的には同様で,そのなかには正式の職人として認められた人々もあったのである。鍛冶,番匠,檜物師などと同様に荘園・公領に給免田を与えられた傀儡の存在や,遊女・白拍子は〈公庭〉に属する人といわれている点などによって,それは明らかである。…
…中世後期に活躍した人形遣い。手傀儡の〈手〉は〈私的な〉という意味をもち職能組織には属さないことを示すもので,平安時代から中世後期に活躍した傀儡が,職能組織として交通の要衝に地歩を築いて活躍したのに対し,手傀儡は宮中や貴族の邸内に参入,当時の流行芸能である猿楽能などを人形で演じて見せた。ほかに一座の少年が輪鼓(りゆうご),師(獅)子舞,曲舞(くせまい)などを演じることもあった(《看聞日記》)。…
…
【人形浄瑠璃の歴史】
[成立]
浄瑠璃は,三河国矢矧(やはぎ)の長者の娘浄瑠璃姫と牛若丸の恋物語で,《十二段草子》とも呼ばれ,中世後期から近世初期に多くの絵巻や草子に書き留められたが,本来は三河の巫女たちによって語られた女主人公をめぐる鳳来寺峰の薬師の霊験譚であったといわれる。その成立については,少なくとも1474年(文明6)ころには,薬師如来の申し子である姫の誕生,牛若との悲恋,死と成仏を語る現在の《しゃうるり御前物語》(山崎美成旧蔵)のごとき長編が都で行われていたと考えられ,1世紀余りのちの〈文禄から慶長への交〉には,外来の三味線を伴奏楽器として,傀儡子(くぐつ)の人形戯と結んで,人形浄瑠璃が成立する(《絵巻`上瑠璃’》および《しゃうるり十六段本》所収の信多純一説)。そのころには,すでに浄瑠璃姫物語以外の新作や幸若(こうわか)の曲目が浄瑠璃の節で語られ,〈浄瑠璃〉は一作品名から一語り物ジャンルの名称に転じていた。…
…(5)人形芸 桑の木の御神体を手にして語る東北の〈おしら遊び〉は日本の人形芸の原始を示す例だが,大分県の古要(こよう)神社などに伝わる神人形は朝鮮半島の人形とも似て,大陸伝来の人形芸の古風をしのばせる。海辺の村々を漂泊したという平安時代の傀儡(くぐつ)のおもかげは,いまも徳島県の夷(えびす)まわしにも見られ,江戸時代に発達した一人遣いの人形芝居や,大坂で完成した三人遣いの文楽系の人形芝居も各地に分布している。また,からくり人形(からくり)などの人形戯も各地で考案されている。…
※「傀儡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...