改訂新版 世界大百科事典 「フィリッピの戦」の意味・わかりやすい解説
フィリッピの戦 (フィリッピのたたかい)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…前43年,アントニウスを支持するレピドゥスを加えて,〈国家再建三人委員〉を結成し,元老院の承認によって独裁官の全権を得ると,彼自身は北アフリカ,シチリア,サルディニアおよびコルシカを勢力基盤とする。前42年,フィリッピの戦で共和派の残党を一掃した際には,頭目ブルトゥスの首をカエサルの彫像の前にささげたといわれる。 その後,退役兵への土地分配をめぐってアントニウスとの間に亀裂が生じ,彼は海上に勢力を振るうセクストゥス・ポンペイウスSextus Pompeius Magnus Piusと一時結んだが,前40年ブルンディシウムの協約によって再びアントニウスと和解した。…
…しかし前44年3月15日のカエサル暗殺に指導的役割を果たした。その後は東方に赴き,軍隊を集めて力を蓄え,カッシウスと結んでアントニウス=オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)連合軍と戦ったが,フィリッピの戦の第2回目の戦闘(前42年11月)に敗れ,自殺した。ストアの哲人としての高潔な人格は同時代人のみならず,後世の人にも大きな影響を与えた。…
… こうしてカエサルはローマの唯一の権力者として残ったが,彼が独裁的傾向を強め,王位への野望もみせたので,カッシウス,ブルトゥスらの共和主義者は前44年3月15日彼を元老院議場で暗殺した。 カエサルの甥で遺言により養子・相続人となったオクタウィアヌスはカエサルの領袖アントニウスと結んで公式に国家再建三人委員(いわゆる第2次三頭政治)に就き(前43),カエサルを暗殺した共和主義者の軍隊をフィリッピの戦(前42)で破った。レピドゥスはポンペイウスの息子セクストゥスの征討に功があったが,やがて失脚し,オクタウィアヌスとアントニウスの両雄が残った。…
※「フィリッピの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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