出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
共和政末ローマの政治家。カラエの敗戦経験後,属州シリアをパルティアから防衛。内乱ではポンペイウス派に属した。赦免され,前44年プラエトル在職中ブルトゥスらとカエサル暗殺を組織した。決行後シリア方面に逃れて軍備を整え,ブルトゥスと合流してマケドニアのフィリッピでアントニウス=オクタウィアヌス軍と会戦(前42)し敗死。独裁者への憎悪は,幼時のスラ子息殴打事件の挿話からも知られる。
執筆者:栗田 伸子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代ローマ、共和政末期の政治家、将軍。カエサル暗殺の首謀者の一人。M・J・ブルートゥスの義兄弟。カエサル、ポンペイウスの内乱ではポンペイウス艦隊を率いたが、のちカエサルに赦(ゆる)されて、諸官職を歴任し、紀元前44年には法務官に任ぜられた。共和政的な伝統護持の立場から、ブルートゥスたちと組んで、前44年3月15日、カエサルを暗殺した。その後は、ローマ民衆の厳しい敵対心のため逃れて、シリアで勢力を蓄えたが、ブルートゥスとともにアントニウス、オクタウィアヌスの連合軍とフィリッピで戦い、その第1回目の戦闘で敗死した。ブルートゥスに比べると現実的で洞察力に優れたが、人望は薄く、影響力も小さかった。
[長谷川博隆]
前83?~前42
ローマ共和政末期の政治家。カエサル暗殺者の一人。内乱ではポンペイウス側についたが,カエサルにゆるされた。ブルトゥスとともにカエサル暗殺の首謀者となったが,フィリッピの戦いに敗れて自殺した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…また前45年1月1日から太陽暦(ユリウス暦)を採用している。しかし,権力・栄誉を一身に集中したため,共和政護持派のブルトゥス,カッシウスらに前44年3月15日,元老院議場で暗殺された。 雄弁家・文人としても第一級の人物であったが,演説の草稿,書簡,パンフレットは散逸し,現存するのは,簡潔な文体,的確な現実把握の点でラテン文学の傑作といわれる《ガリア戦記》《内乱記》のみである。…
※「カッシウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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