アウグストゥス(読み)あうぐすとぅす(英語表記)Imperator Caesar divi filius Augustus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アウグストゥス」の意味・わかりやすい解説

アウグストゥス
あうぐすとぅす
Imperator Caesar divi filius Augustus
(前63―後14)

古代ローマの政治家、ローマ帝国初代の皇帝(在位前27~後14)。前名をガイウス・オクタウィウスGaius Octaviusといい、同名の父とカエサルの姪(めい)アティアとの間に、紀元前63年9月23日誕生した。父の死後、大伯父カエサルの保護を受け、カエサルの暗殺(前44)後、遺言により主要な相続人・養子とされていることを知ると、ただちにローマに赴き、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスGaius Iulius (Julius) Caesar Octavianusと改名、権利を主張した。カエサルの遺産をめぐり、カエサルの旧部下マルクス・アントニウスと対立し、キケロを指導者とする元老院派に味方し、前43年4月ムティナの戦いでアントニウスを敗走させ、元老院に強制してコンスルに選ばれた。

島田 誠]

第2回三頭政治

前43年11月、オクタウィアヌス、アントニウス、カエサルの旧部下マルクス・アエミリウス・レピドゥスは、ボノーニア(ボローニャ)で会見し、三頭政治を樹立した。私的盟約であった第1回三頭政治と異なり、公式に「国家再建のための三人委員」に任命され、まずキケロを筆頭に多数の反対派の追放、処刑、財産没収を行った。オクタウィアヌスは西方を、アントニウスは東方を、レピドゥスはアフリカを分担支配した。オクタウィアヌスは、シチリア島を本拠に三頭政治に反対してイタリアを海上封鎖したセクストゥス・ポンペイウスとの戦いを担当、苦戦したが、アントニウスの支援と部下アグリッパの指揮により勝利を得、その際レピドゥスを三人委員の地位から追放し、アフリカを支配下に置いた。その後、ふたたびアントニウスと対立し、彼とエジプト女王クレオパトラとの関係と、彼女へのローマ民衆の反感を利用し、前32年クレオパトラに対し宣戦を布告した。前31年アクティウムでクレオパトラとアントニウスの艦隊を破り、翌30年アレクサンドリアを陥落させた。クレオパトラとアントニウスは自殺し、1世紀余り続いた内乱は終結した。

[島田 誠]

プリンキパトゥス(元首政)の成立

前29年オクタウィアヌスはローマに帰還し、盛大な凱旋(がいせん)式をあげ、元老院首席(プリンケプス・セナトゥス)になった。前31年以来、連年コンスルであり富裕なエジプトを私領化していたが、前27年、属州を元老院と分担し、軍隊の駐屯する属州の大部分を管轄することになり、元老院よりアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられた。普通これを帝政の始まりとする。

 彼は属州行政の整備、スペインでの征服戦争に奔走したが、反対派が存在し、前23年陰謀が発覚した。彼の重病も重なり、重大な政治危機が生じたが、回復後コンスル職を共和政派に譲って辞任し、かわりに完全な護民官権限と上級のコンスル代理命令権(元老院管轄属州を含む全帝国への命令権)とを与えられ、ギリシア、小アジアなど東方旅行に出発した。この両者の権限を得ることにより彼の地位はむしろ強化された。さらに前22年には独裁官と穀物供給管理官との地位を提供され、後者のみを受けた。前19年コンスル命令権を与えられ、その地位は確立した。対外関係も、前20年パルティアからクラッススの敗北により奪われた軍旗が返還され、人質も送られ、東方では安定した。残る課題は内乱の時代以来、小規模な侵入、移動を繰り返す北方のゲルマン人の制圧のみとなった。

 前18年、彼は共和政時代以来の公私両面の悪習を除くための立法を行った。すなわち、公職を得るため贈賄した者を締め出すことを定めた「選挙買収についてのユリウス法」、元老院議員身分中、結婚し子供をもつ者に特権を与え、未婚の者に不利益を課した「結婚規制についてのユリウス法」、姦通(かんつう)を刑法上の犯罪とした「姦通処罰についてのユリウス法」の3法である。「結婚規制法」は紀元後9年パーピウス・ポッパエウス法により強化された。

 このころアクティウムの海戦以後に成人した世代が政界に登場し、アウグストゥス体制は安定した。彼らを代表し、彼の継子ティベリウス・ドルスス兄弟などがゲルマニア遠征中、ローマ市およびイタリアの行政整備に努め、ローマ市長官の任命、消防隊の設置、ローマ市の行政区画の再編などを行った。前12年には、レピドゥスの死後、大神祇(じんぎ)官長となり、ローマの宗教上の最高の地位を得た。以後、大神祇官長の職は皇帝たちの専有物となった。前2年には国父の栄誉称号を与えられた。アウグストゥスの政権が安定すると、彼の後継者が問題となった。まず、ひとり娘ユリアの夫たち、甥(おい)のマルケルス、有能な部下のアグリッパが後継者に擬された。ついでアグリッパとユリアとの息子、ガイウスとルキウスの兄弟が養子とされたが若死にした。最後に、やはりユリアの夫であったティベリウスを養子とし、後継者とした。

 アウグストゥスは紀元後14年8月19日、イタリアのノラの町で病没した。彼は死後に神とされた。遺書とともに、自らの治績を記録した『業績録』を作成して残しており、碑文として現存している。

[島田 誠]

アウグストゥスの時代

アウグストゥスの時代は、文化面ではローマ文学史上の最盛期でもあった。散文では、ローマの建国以来の歴史を著したリウィウスが知られる。ラテン詩は、アウグストゥスの側近マエケナスなどの有力者の保護下に黄金時代を迎え、大詩人が輩出した。ローマ建国神話を題材とした『アエネイス』を著したウェルギリウスや、ホラティウス、プロペルティウス、ティブルス、オウィディウスなどが代表である。

[島田 誠]

『スウェートーニウス著、角南一郎訳『ローマ皇帝伝 上』(1974・社会思想社)』『E・マイヤー著、鈴木一州訳『ローマ人の国家と国家思想』(1978・岩波書店)』『弓削達著『ローマ帝国の国家と社会』(1964・岩波書店)』『弓削達著『ローマ帝国論』(1966・吉川弘文館)』『弓削達著『地中海世界とローマ帝国』(1977・岩波書店)』『国原吉之助著『皇帝アウグストゥスと詩人たち』(『ギリシア・ローマの神と人間』1979・東海大学出版会・所収)』


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