ブライアンオドリスコル(英語表記)Brian O’Driscoll

現代外国人名録2016 「ブライアンオドリスコル」の解説

ブライアン オドリスコル
Brian O’Driscoll

職業・肩書
ラグビー選手(レンスター・CTB)

国籍
アイルランド

生年月日
1979年1月21日

出生地
ダブリン

経歴
アイルランドの国技ともいわれるゲーリックフットボールに親しんだ後、ラグビーを始める。1998年U-19代表として世界大会優勝。’99年6月の対オーストラリア戦で、20歳でアイルランド代表デビューを果たす。同年10月W杯にも出場し、初戦の対米国戦で初トライを挙げる。2000年6ケ国対抗の対フランス戦で3本のトライを決めて一躍脚光を浴びた。2002年11月代表31キャップ目となるオーストラリア戦で、23歳にして初めてアイルランド代表の主将を任される。2003年のW杯後、長くアイルランド代表を率いたキース・ウッドが引退すると、本格的にキャプテンを務める。2007年の6ケ国対抗で、2年大会連続で最優秀選手に選出される。2009年の同大会では、61年ぶりとなる全勝優勝を果たす。イングランド、ウエールズ、スコットランド相手に全勝して与えられる“トリプルクラウン”の称号を4度獲得した(2004年,2006年,2007年,2009年)。また、4年に一度結成されるドリームチーム、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズには3度選出(2001年,2005年,2009年)。2005年のニュージーランド遠征では、アイルランド選手としては22年ぶりとなるライオンズ主将も務めた。W杯出場は4回。所属クラブはレンスター一筋(アイルランド)で、2011年5月のハイネケンカップ決勝でノーサンプトン・セインツを破り、2年ぶり2度目のヨーロッパ王者に輝いた。2012〜2013年シーズン、セルティックリーグで5季ぶり3度目の優勝を飾った。世界で最も権威あるラグビー専門誌のひとつ英国「ラグビーワールド」が、“2000年代に入ってからの10年間で、世界最高の選手”と評した。頭文字から愛称BOD

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ブライアンオドリスコル」の解説

ブライアン オドリスコル
Brian O’Driscoll
ラグビー

ラグビー選手(レンスター・CTB)
生年月日:1979年1月21日
国籍:アイルランド
出生地:ダブリン
経歴:アイルランドの国技ともいわれるゲーリックフットボールに親しんだ後、ラグビーを始める。1998年U-19代表として世界大会優勝。’99年6月のオーストラリア戦で、20歳でアイルランド代表デビューを果たす。同年10月W杯にも出場し、初戦の米国戦で初トライを挙げる。2000年6ケ国対抗のフランス戦で3本のトライを決めて一躍脚光を浴びた。2002年11月代表31キャップ目となるオーストラリア戦で、23歳にして初めてアイルランド代表の主将を任される。2003年のW杯後、長くアイルランド代表を率いたキース・ウッドが引退すると、本格的にキャプテンを務める。2007年の6ケ国対抗で、2年大会連続で最優秀選手に選出される。2009年の同大会では、61年ぶりとなる全勝優勝を果たす。イングランド、ウエールズ、スコットランド相手に全勝して与えられる“トリプルクラウン”の称号を4度獲得した(2004年,2006年,2007年,2009年)。また、4年に一度結成されるドリームチーム、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズには3度選出(2001年,2005年,2009年)。2005年のニュージーランド遠征では、アイルランド選手としては22年ぶりとなるライオンズ主将も務めた。W杯出場は4回。所属クラブはレンスター一筋(アイルランド)で、2011年5月のハイネケンカップ決勝でノーサンプトン・セインツを破り、2年ぶり2度目のヨーロッパ王者に輝いた。2012〜2013年シーズン、セルティックリーグで5季ぶり3度目の優勝を飾った。世界で最も権威あるラグビー専門誌のひとつ英国「ラグビーワールド」が、“2000年代に入ってからの10年間で、世界最高の選手”と評した。頭文字から愛称はBOD。

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