日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラウン判決」の意味・わかりやすい解説
ブラウン判決
ぶらうんはんけつ
正式にはブラウン対教育委員会事件判決Brown v. Board of Education。また、人種隔離違憲判決ともよばれる。1954年5月にアメリカ合衆国の連邦最高裁判所が下した、黒人・白人分離問題に関する歴史的判決。南部の各州は、19世紀の末に学校や病院、交通機関や公園など、公共施設において白人と黒人とを分離する法律、いわゆる人種差別法(ジム・クロウJim Crow法)を相次いで制定し、黒人差別の制度化を図った。連邦最高裁は1896年のプレッシー対ファグソン事件判決Plessy v. Fergusonにおいて、「分離はしても平等」Separate but equalなる法理を打ち出し、施設や設備が平等であれば人種の分離は合憲と判断し、人種の分離に法的根拠を与えた。これに対し、ブラウン判決は、「分離された教育施設は本質的に不平等」との判断を下し、「分離はしても平等」という法理を明確に退けた。分離は合衆国憲法第14条修正のうたう法の平等な保護を奪う、というものであった。判決は、公立学校における黒人・白人共学を実現させる長い道程の出発点となったばかりでなく、人種の分離や隔離そのものを原理的に非とすることにより、合衆国の人種関係改善に向けて画期的な判決となった。公民権運動は、この判決を武器に大きく前進した。
[大塚秀之]