日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブランビリエ夫人」の意味・わかりやすい解説
ブランビリエ夫人
ぶらんびりえふじん
Marie-Madeleine d'Aaubray, Marquise de Brinvilliers
(1630―1676)
17世紀フランス社会の暗黒面を象徴する毒殺魔。パリの民事代官の総領娘として生まれる。かなりの高等教育を受け、21歳でブランビリエ侯爵と結婚したが、生来の男好きから、夫の親友で元大尉のサント・クロワという放蕩(ほうとう)児の情婦となった。怒った父の代官はサント・クロワを逮捕させ、バスチーユ監獄に送った。2か月後、出獄した彼は夫人と再会して代官の毒殺を計画、ヒ素を基剤とする毒薬を合成して、代官に30回にわたって飲ませた。代官は苦しみながら66歳の生涯を終え、自殺死と断定された。次に2人は、遺産を独占するため夫人の2人の兄弟を毒殺し、さらにブランビリエ侯爵の毒殺をもくろんだが、途中サント・クロワが自然死し、その財産調査の際毒薬が発見された。夫人はイギリス、オランダ、リエージュの修道院へと逃亡したが逮捕され、拷問のあげく首をはねられ、遺骸(いがい)は火で焼かれた。この裁判は史上初の毒殺裁判となった。
[榊原晃三]