リエージュ(読み)りえーじゅ(英語表記)Liège

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リエージュ」の意味・わかりやすい解説

リエージュ
りえーじゅ
Liège

ベルギー東部、リエージュ州の州都で、工業都市。同国南半分を占めるフランス語圏(ワロン人地域)の中心都市。オランダ語名ロイクLuik、ドイツ語名リューティッヒLüttich。人口18万5131(2002)。丘陵に囲まれ、ウルト川とムーズ川マース川)の合流点に位置し、重要な河港を有する。コックリル社を中心とする鉄鋼亜鉛アルミニウム、ガラス、セメント、機械、ゴム、食品などの工業が盛んである。14世紀から開発された石炭資源と製鉄、15世紀末からの武器製造業の発達を基礎として成長、ヨーロッパ大陸で最初の産業革命を実現し、同国最大、西ヨーロッパ有数の重工業地域に発展した。しかし1960年代後半の炭鉱の閉鎖後、炭坑労働者の転職、鉄鋼の加工による付加価値の増大、化学工業の拡大など産業構造の転換を迫られ、ハイテク産業の振興、外資導入などによる経済再開発が進められた。

 7世紀の教会建設から宗教都市として、また水陸の交通要地であるため市場町としても発展した。1789年までリエージュ司教公(プランス・エベック)領、1794~1815年フランス領、ついで1830年のベルギー独立まではオランダ領であった。第一次、第二次両世界大戦中はドイツ軍侵攻の通路にあたり、激戦ののち占領された。16世紀の司教公宮殿、ゴシック様式のサン・ジャック教会、ワロン生活博物館などがある。1817年創立の国立リエージュ大学は一部を除き、市南郊のサールティルマンへ約40年をかけ1980年代に移転を完了させた。

 リエージュ州は面積3862平方キロメートル、人口102万4130(2002)。アルデンヌ高原北東部からムーズ川の河谷とその両側の丘陵上に広がる。ドイツ国境に接する東側の一部に、1919年ベルサイユ条約で割譲されたドイツ語地域を含む。ムーズ河谷は重化学工業地域。北部丘陵地域は小麦テンサイサトウダイコン)などの農業地域。南東部は果樹・酪農地域である。

[川上多美子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リエージュ」の意味・わかりやすい解説

リエージュ
Liège

オランダ語でロイク Luik,ドイツ語ではリュッティヒ Lüttich。ベルギー東部,リエージュ州の州都。ウルト川がムーズ川に合流する地点に位置し,市域は狭い河谷と両側の高原上に広がる。7世紀に聖ランベールが建設したと伝えられるが,正式に町となったのは 721年で,同年司教区となり,11世紀にはリエージュ司教公領の首都,モザン美術の中心地となり,ヨーロッパでも特に有名な文化都市の一つとなった。 15世紀後半にはネーデルラントを支配するブルゴーニュ公国に抵抗して,シャルル (豪胆公) に2度,市街を破壊,略奪されたが,16世紀には司教エラール公のもとで繁栄を取戻した。 1795年リエージュ司教公領はフランスに併合され,1815年にはオランダ領となったが,30年のベルギー独立運動ではリエージュ市民が重要な役割を演じた。翌年のベルギー独立後は市域を拡大,工業都市として発達し,2度の世界大戦ではドイツ軍に対するムーズ川防衛線の重要拠点となり,大きな被害を受けた。現在は国内最大の重工業地域を形成,鉄鋼,非鉄金属,ガラス,兵器など各種の工業が盛ん。西ヨーロッパ第3の重要河港をもち,鉄道もアントウェルペンに次ぐ重要な結節点として国際線が集中している。文化の面では古くからフランス語地域の中心としての役割を果しており,1816年創立の大学をはじめ,E.イザイのバイオリン教育で特に知られた王立音楽院,モザン美術の収集の多い美術館,博物館や,コンサートホール,オペラ劇場など各種の文化施設が多い。また宗教都市として,モザン美術の代表といわれる洗礼盤のある聖バルテルミ教会 (12世紀) など多くの大聖堂,聖堂,司教宮殿 (現裁判所) などの歴史的建築物も残されている。人口 19万 4596 (1991) 。

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