日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペラージョ」の意味・わかりやすい解説
ペラージョ
ぺらーじょ
Pelayo
(?―737)
イベリア半島を征服したイスラム教徒に対する抵抗運動の指導者。最後の西ゴート王ロドリゴRodrigo(在位710~711)の家臣で、グアダレーテの戦い(711)ののち、一時捕虜となっていたが、717年に逃亡。イスラム教徒の支配の及ばない半島北辺アストゥリアスの山中で先住民や南からの避難民を集めて反イスラムの抵抗運動を始めた。そして彼らの討伐を目ざしたイスラム軍を、今日コバドンガCovadongaの戦い(722)として知られる一戦で逆に退けたが、これ以後のペラージョについてはその死のほかは不詳である。彼を後のアストゥリアス王国の創始者とみるか否かは歴史家の見解が分かれるが、後世の史料が彼を「新王朝の開祖」、「最初にイスパニア王を称した者」とよぶなど、前述の勝戦がやがて生まれるキリスト教スペインの政治史に大きく影響したことは明らかである。ちなみに、アストゥリアス王国は、ペラージョの娘婿アルフォンソ1世(在位739~757)の下で、その存在が明らかになる。
[小林一宏]