スペイン北西部,ビスケー湾に面する地方。人口106万2998(2001)。中心都市はオビエド。元来は西部(現,アストゥリアス地方)と東部(現,サンタンデル県)から成り立っていたが,1823年に東部が旧カスティリャ地方に組み入れられ,現在にいたった。カンタブリア山脈が海岸線近くまで迫り,平野は少なく狭い。気候は温暖多雨である。主要産業は鉱業で,山岳地帯には産出量が国内一の石炭のほか,鉄鉱石,マンガンなど,鉱物資源が豊富に埋蔵されている。農業は穀物生産が主体で,牧畜業,漁業も盛んである。
前1000-前500年に半島へ入ってきたケルト人がアストゥリアスに入植し,ローマ帝国の支配には半島内で最後まで抵抗した。さらに,8世紀にはイスラム教徒が半島へ侵入したが,最後までアストゥリアスを占領できず,逆に718年,コバドンガの戦で敗北した。この戦いの後,西ゴート王国の正統な継承者という意識の下に,ペラヨ王に始まるアストゥリアス王国が成立し,国土回復戦争の拠点となった。9世紀後半に,王国の領土はドゥエロ河畔まで拡大され,またオビエドから戦略上の要地レオンへ遷都(914)されてからは,レオン・アストゥリアス王国と呼ばれた。だが,11世紀に王国内の伯爵領カスティリャが王国を樹立しレオンを占領すると,アストゥリアスは独立性を失い,レオン・カスティリャ王国に統合された。1388年,フアン1世(在位1379-90)がエンリケ王子に〈アストゥリアス皇太子Príncipe de Asturias〉の称号を与えて以来,王位継承権をもつ王子の呼名として,その名称は今日でも使用されている。
19世紀に入り,バスク地方に工業化の波が押しよせると,アストゥリアス地方の資源への需要が高まり,鉱業を中心とした経済の繁栄をみた。第1次大戦で中立を保ったスペインは経済発展を享受したが,労働争議が続発し,アストゥリアス地方でも社会主義者の指導する労働運動が高まった。第二共和制(1931-39)下の1934年10月には,オビエドを中心にアストゥリアス革命が勃発し,労働者のコミューンが設立されたが,約2週間で鎮圧され,2年後に突入する内戦の重要な契機のひとつとなった。
執筆者:フアン・ソペーニャ
8~10世紀のアストゥリアス王国は首都オビエドを中心に西ゴート王国の美術様式を受け継ぎさらに発展させた。すなわち聖堂建築では方形祭室や石造穹窿(ボールト)の使用を続ける一方,穹窿はより高くなり,玄関口の上には階上廊(トリビューン)を備え,外壁の,荷重を強く受ける部分には垂直帯状支壁を付けるなど上昇感を強め,構造はより論理的になった(サン・ミゲル・デ・リーリョ聖堂,ポーラ・デ・レーナPola de Lenaのサンタ・クリスティナ聖堂)。柱頭や浮彫では様式化された獅子,騎馬人物がサンタ・マリア・デ・ナランコ聖堂(旧宮殿の一部)に見られる。工芸ではオビエド大聖堂のカマラ・サンタに納められた〈天使の十字架〉〈勝利の十字架〉〈瑪瑙の聖遺物箱〉に金銀のほか宝石や七宝を使い,イタリアの金工やカロリング朝の作品と結びつけられる。サン・フリアン・デ・ロス・プラドス聖堂に残る9世紀のフレスコは,円柱,破風,垂幕をだまし絵風に描いており,これはラベンナの正統派洗礼堂モザイクや,ポンペイ壁画に見られる建築装飾の存続で,失われた西ゴート宮廷美術を反映するものと考えられる。9世紀末にはモサラベとの接触が始まり,唐草文の透し彫窓等にその影響が現れる(サン・サルバドール・デ・バルデディオス聖堂)。一方,石造穹窿や荷重の分散の問題はモサラベ建築の中で大きな展開を見る。アストゥリアスは11世紀にレオン・カスティリャ王国に統合されてからは,美術の中心地としての主導権は失われた。
執筆者:五十嵐 ミドリ
グアテマラの小説家,詩人。1967年にノーベル文学賞を受賞。法科の学生時代に時の独裁者エストラーダ・カブレラに抗議する運動に参加。やがてパリに移り,古代アメリカ文化の研究にいそしみ,キチェー族の記録《ポポル・ブフ》の仏訳や,バレリーから絶賛される《グアテマラ伝説集》(1930)を完成した。1932年に帰国して,独裁者小説の傑作の一つに数えられる《大統領閣下》(1946)を発表したのを皮切りに,インディオの神話や伝説に依拠した《トウモロコシの人間たち》(1949)や,北アメリカ資本による収奪を鋭く告発した三部作《強風》(1950),《緑の法王》(1954),《死者の目》(1960)を世に送り,ラテン・アメリカ文壇における地位を不動のものにした。後期の《ある混血の女》(1963),《リダ・サルの鏡》(1967),《マラドロン--緑のアンデスの叙事詩》(1969)といった小説はいずれも,社会的・現実的要素とマヤの神話的宇宙観とがみごとに融合した,いわゆる魔術的リアリズムの傾向に属している。これらのほかに《金持の坊ちゃん》(1966),《四つのうちの三つの太陽》(1971)などの作品があり,さらに,詩集《ひばりのこめかみ》(1949),《春の夜の目覚め》(1965)や,戯曲《ソルーナ》(1955),《地方裁判所》(1957)もある。
執筆者:鼓 直
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スペイン北部、ビスケー湾に面する歴史的地方名。ほぼオビエド県の範囲にあたる。東西約200キロメートル、南北60~95キロメートル、面積1万0900平方キロメートルで、東西に長く、カンタブリカ山脈の北斜面に位置する。降水量が豊かで、気温は夏17~19℃、冬8~9℃と、温和な西岸海洋性気候である。そのためブナやカシなどの森林、永年牧草地がみられる。北は崖(がけ)になった海岸、南は高山で隔離され、ムーア人の支配を受けず、キリスト教徒の国土回復戦争(レコンキスタ)の拠点となった。山間の盆地や谷間に生活の中心があり、酪農が盛んである。西部のオビエド盆地には炭田があり、その埋蔵量と採掘量はともにスペイン最大で、数万人が採炭に従事している。ほかに鉄、亜鉛、鉛、銅の産出があり、豊かな水力および火力発電による電力を利用した重工業地帯を形成し、オビエドはその中心都市である。その外港ヒホンやアビレス、サンタンデルは重要な港湾・工業都市として発達している。
[田辺 裕・滝沢由美子]
紀元前1世紀、ローマの進出に対して先住のケルト・イベリア人が激しく抵抗し、前19年にスペインのなかでは最後にローマの支配下に入った。しかし地中海側地域に比べてローマ化は緩慢であった。5世紀初頭にゲルマン系のスエビ人が到来し、西ゴート王国に滅ぼされる6世紀後半まで、西半分がスエビ王国のもとにあった。8世紀初頭イスラムの侵入に脅かされたが、西ゴート王の末裔(まつえい)とされる貴族が逃げ込み、718年にアストゥリアス王国を打ち立てた。ついで722年に東部のコバドンガでイスラムに勝利を収め、コバドンガはレコンキスタの聖地となり、以後アストゥリアス王国は勢力を伸ばした。アストゥリアスがふたたび脚光を浴びるのは近代以降である。18世紀後半の啓蒙(けいもう)改革の時代に石炭鉱山の開発が始まり、19世紀中ごろには政府資金やベルギー、フランス、イギリスの外国資本によって、バスクの鉄鉱石と結び付いた製鉄、金属機械工業が進められた。鉱工業の発展は近代的労働者を生み出し、そのため労働運動や社会主義運動の中心地ともなった。1917年の共和制を目ざすゼネストをはじめ、第一次世界大戦以後は慢性的な石炭産業の不況もあって、王制、第二共和制、フランコ体制下において、政治体制を揺るがすような運動が行われた。なかでも、1934年10月の鉱夫を中心とした武装蜂起(ほうき)と、1962年の反フランコ体制ストライキ運動は有名である。
[中塚次郎]
グアテマラの作家。判事の子として10月19日グアテマラ市に生まれる。サン・カルロス大学法学部に学び、反独裁学生運動に参加、1923年パリへ脱出。ソルボンヌ大学でマヤの神話と宗教を研究し、『ポポル・ブフ』『シャヒル年代記』をスペイン語に翻訳、『グアテマラ伝説集』(1930)を発表した。一方、ブルトンなどシュルレアリストたちとの親交を深め、その理論とインディオの神話的世界から、独自の「魔術的レアリスム」を確立した。1933年に帰国後はジャーナリスト、1945年以降は外交官として活躍、晩年はフランス大使を務め、その間数々の作品を書き、1967年にノーベル文学賞を受賞。1974年6月9日マドリードで死去。遺言によりパリのペール・ラシェーズ墓地に葬られた。
彼の作品群は「ラテンアメリカの原型」といわれ、自身をラテンアメリカ現代小説の先駆的存在にまで高めた『大統領閣下』(1946)や、アメリカ資本ユナイテッド・フルーツを告発したバナナ小説三部作、『強風』(1949)、『緑の法王』(1954)、『死者たちの眼』(1960)などの政治・社会小説と、『とうもろこしの人間たち』(1949)、『ある混血の女』(1963)、『リダ・サルの鏡』(1967)など、現実の内奥、源流へとさかのぼっていく神話、伝説とに大別できるが、『マラドロン』(1969)、『四つのうちの三つの太陽』(1971)、詩集『春の夜のめざめ』(1965)にみられるように、スペイン語のもつ優美な音や語感を追求した作品もある。
[内田吉彦]
『牛島信明訳『グアテマラ伝説集』(『ラテンアメリカ文学叢書4』1977・国書刊行会)』▽『内田吉彦・木村栄一訳「大統領閣下」(『世界文学全集82』1981・集英社・所収)』▽『鼓直訳『緑の法王』(『世界革命文学選40・41』1967~1968・新日本出版社・所収)』
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…続く西ゴート時代(5~7世紀)の建築遺産はイスラム教徒に破壊されて数少ないが,現存するスペイン最古の教会サン・フアン・デ・ロス・バニョスSan Juan de los Baños(661)などに,ローマとビザンティンの影響を融合し,馬蹄形アーチと幾何学的な装飾モティーフを特徴とする独特な建築様式を見ることができる。イスラム教徒の半島侵入は,8世紀から10世紀にかけての北部キリスト教地域にアストゥリアスとモサラベという,ともにユニークな様式を生んだ。イスラム勢力に追われた西ゴート・キリスト教徒は,半島北西端に退いてアストゥリアス王国を建設,西ゴートの伝統を継承発展させ,サンタ・マリア・デ・ナランコSanta María de Naranco(848)に代表される,石造筒形穹窿を横断アーチと控え柱で支えるという,ロマネスク様式を先駆する建築群を残した。…
※「アストゥリアス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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