ペリコ(英語表記)Silvio Pellico

改訂新版 世界大百科事典 「ペリコ」の意味・わかりやすい解説

ペリコ
Silvio Pellico
生没年:1789-1854

イタリアの思想家。1818年ウィーン体制下の反動的状況のなか,オーストリア統治下のミラノで《調停者Il conciliatore》紙を創刊,ロマン主義的文化運動のリーダーの役割を果たす。この新聞はその民族主義・自由主義的傾向を理由に翌年発行を禁止される。20年秘密結社カルボナリ党との関係が明らかにされ,大弾圧のなかで死刑判決を受ける。その後減刑され,30年までシュピールベルク監獄で過ごす。釈放後32年に《獄中記Le mieprigioni》を発表し,異民族支配下のイタリア人愛国者がおかれている悲惨な状態を全イタリア,ヨーロッパに伝えて大きな反響を引き起こす。ペリコのこの著作はオーストリアの統治に大きな打撃を与えるとともに,その後の若い世代がリソルジメント運動に大挙して参加するきっかけとなった点で,イタリア文学史でも重要な作品である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペリコ」の意味・わかりやすい解説

ペリコ
ぺりこ

ペッリコ

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世界大百科事典(旧版)内のペリコの言及

【リソルジメント】より

イタリア[歴史]【北原 敦】
【リソルジメントの文学】
 リソルジメントの時代はイタリア文学にとってとりもなおさずロマン主義の時代であったが,リソルジメントの理想をみずからの最大の主題としたイタリアのロマン主義は,社会的責務を強く自覚し,緊急の政治課題に鋭くかかわった独自のものであった。たとえば,民族的自覚と愛国心を鼓吹する有用な媒体としてすでにV.アルフィエーリがすすめていた演劇,なかんずく悲劇は,ロマン主義の機関誌《コンチリアトーレ》(1818‐19)を創刊したS.ペリコ,あるいはマンゾーニらによって手がけられ,リソルジメント文学の重要なジャンルとなった。なお,19世紀におけるほとんど唯一の国民芸術であったオペラは,ベルディ,ロッシーニらの大作曲家を得て,ロマン主義的愛国心の表現にみごと成功した。…

※「ペリコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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