ペレヤスラブリ公国(読み)ペレヤスラブリこうこく(その他表記)Pereyaslavskoe Knyazhestvo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペレヤスラブリ公国」の意味・わかりやすい解説

ペレヤスラブリ公国
ペレヤスラブリこうこく
Pereyaslavskoe Knyazhestvo

ロシアの封建公国。 (1) 11世紀中頃キエフ公国から分れてできた。ドネプル川左岸に位置し,ペレヤスラブリ(現ペレヤスラウ)を都とした。遊牧民に対する要塞役目を果たしたが,1239年モンゴルのバトゥ(抜都)の大軍によって滅ぼされた。 (2) 12~13世紀北東ロシアのペレヤスラブリ(現ペレスラブリザレスキー)を首都としてできた公国。初代の公はフセボロド大巣公在位 1176~1212)。1238年のモンゴル軍の侵入により蹂躙されたが,13世紀後半ドミトリー・アレクサンドロビッチ公がウラジーミル大公(在位 1276~94)となり,ペレヤスラブリを首都とするに及んで最盛期を迎えた。1303年公家が断絶し,モスクワのダニール公の所領となった。

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