ボグドゲゲン(その他表記)Bogdo Gegen

改訂新版 世界大百科事典 「ボグドゲゲン」の意味・わかりやすい解説

ボグドゲゲン
Bogdo Gegen

外モンゴリアの最高の活仏で黄帽派(ゲルー派)ラマ教主の通称。ボグドゲゲンとはモンゴル語で〈聖光明者〉の意。正式の称号はジェブツンダンバ・フトクトRje btsun dam pa khu tug tu(哲布尊丹巴呼図克図)。ボグドゲゲンはチベット僧ターラナータTāranāthaの化身とされる。初代ボグドゲゲン(1635-1723)は外モンゴリアのハルハ族の大領侯トシエト・ハーンの子として生まれ,1691年(康煕30)外モンゴリアが清朝に服属した際,清朝のために積極的に協力したことから清朝に重んじられるようになった。第2代(1724-57)も初代と同じ家系から出たが,その絶大な宗教的権威をそぐため清朝の方針により,第3代からは化身をハルハ族の間から選定することを禁じ,チベットから招くことに定められた。またボグドゲゲンの活動も宗教面のみに限定し,俗事に関与してはならないようにされた。最後の第8代(1870-1924)は清からの外モンゴリアの独立(1911)に伴い,神権政体の君主となった。1921年の人民革命後,彼は人民政府の元首地位にとどめられたが,国権は人民政府に掌握された。24年彼の死去に伴い,人民政府は活仏元首制を廃止して人民共和国を宣言した。
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世界大百科事典(旧版)内のボグドゲゲンの言及

【慶寧寺】より

…モンゴル名アマルバヤスフラントヒート。外モンゴリアの黄帽派(ゲルー派)ラマ教主ボグドゲゲン1世(1635‐1723)の菩提寺として清の雍正帝の命により,1727年(雍正5)着工,1736年(乾隆1)完成。清代にモンゴル人ラマ教徒の巡礼の聖地として栄え,19世紀末に寺僧2000余人を擁したという。…

【ラマ教】より

…これが外モンゴリア最古の今に残るエルデニ・ズーである。17世紀後半にアバダイ・ハーンの曾孫にボグドゲゲンと呼ばれる活仏が出て,ダライ・ラマ5世の指導の下に黄帽派の普及に尽力した。清朝もこの活仏を手厚く保護したので,その晩年に当たる18世紀初めには,外モンゴリアでのその勢威は並びないものとなった。…

※「ボグドゲゲン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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